230 :
日本というサティアン? 上:
「官★に告ぐ!」1996年刊 ★本 政於 ★高 信 対談より
日★的経営と「企業教」
<佐高> ・・・・それに、松下や日立、東芝などの大手企業がやっている「みそぎ研修」というア
ホなものをソニーやホンダはやっていないでしょう。
<宮本> みそぎって、冷たい川の水を浴びて身を清めるというあれですか。そんなものを今でも大
手がやっているんですか。
<佐高> 他にも三菱電機、宇部興産、住友金属工業なんかがやってますよ。また、真似する企業が
たくさんあるんだ。ふんどし一つに「愛」「汗」と書いた鉢巻を締めて、伊勢神宮を流れる五十鈴川
に肩までつかる。ここは冬は風が強くて、川から上がると肌が針に刺されたように痛いそうです。
<宮本> オウム真理教にも水中に潜ったり、土中の狭い箱に何日も閉じ込めるといった修行があっ
たけど、日本の大企業も一歩間違えばオウム真理教と同じですね。どちらもアニミズム的な考え方に
基づいて行動を取っている。まだまだ精神主義という原始的な発想が日本社会の根底に流れているわ
けですね。
<佐高> 今、宮本さんが呆れたように、この話を聞いたほとんどの人が驚きますね。それで、これ
を私の本で読んだ人も反発して、日立の株主総会で質問したんです。すると経営陣は「みそぎ研修を
やっている修養団は戦前から続いている団体で、文部省も認めた団体です」と答えた。これ、お役所
の権威を借りているだけだね。研修をやる道場主は「こざかしい理屈を捨て、ばかになって仕事に励
め」と社員を叱咤しますが、それは成功しているんですね。1982年、日立の社員がIBMの企業秘密を
盗んだ疑いで逮捕されたけど、この社員は本当にばかになって上司の命令に従ったんだから。
<宮本> 「ばかになれ」ということは人間ロボットになれということですね。見方を変えれば、「
組織の奴隷になれ」ということです。みそぎ研修というのは精神修養のつもりなんでしょうが、その
発想の元というのは精神主義にあり、それがどこに由来しているかというと教育勅語だし「国体」の
意識ですね。こんな時代錯誤につかっていたら、国民の生活レベルは下がるばっかりですよ。
231 :
日本というサティアン? 中:02/07/28 21:46
<佐高> 実際、川の中では明治天皇の「五十鈴川 清き流れの末汲みて こころを洗へ あきつし
ま人」という御製をうたう。このみそぎ研修が『タイム』に写真入りで載ったこともあるんですよ。
<宮本> 信じられませんね。オウムの中で、松本智津夫が信者に対して行った不合理な洗脳教育と
いったいどこが違うのでしょうかね。
<佐高> 私はオウム真理教より「企業教」のマインドコントロールのほうがずっと強いと思ってい
る。例えば、松下では毎日朝会をやって社歌を歌わせるんです。トヨタの運動会では、今はやめたそ
うだけど、選手団の入場行進で役人席のところにくると「カシラー、右」とやっていたそうだからね。
オウムは薬物を注射していたけど、企業はドーピング違反なしでコントロールしているんです。
そういう意味で、日本の企業が持つマインドコントロールの手法は凄いものだと思いますね。
<宮本> こうした企業社会の倒錯性は年次有給休暇を社員たちがどうのように消化しているかにも
表れていますね。なにしろ有給休暇を消化しないことが美徳とされ、また病気になっても年次休暇で
振り替えるようになっていますから。有給休暇は個人の権利であって、仕事を一生懸命したことに対
するご褒美ではない。このあたりが分かっていない人が多く、「でっち奉公」の世界観から抜け出す
ことができないんですね。企業と従業員の間に癒着がないフランスでは、誰にも気兼ねする必要がな
いからこそ六週間のバカンスを取れるわけです。でも、日本では企業に対して遠慮が働くから取るわ
けにいかない。長期休暇を取ることに遠慮するほうがおかしいし、社員が長期休暇を取ったから企業
がつぶれてしまうのであれば、そんな会社はつぶれたほうがいいんです。
<佐高> 日立、東芝、松下の企業には官僚が天下りしているでしょう。天下りした彼らが「みそぎ
研修」に違和感を覚えないとすれば、官僚自身もマインドコントロールされているということですね。
あるいは率先して、みそぎ研修の推進を図っているかもしれない。
232 :
日本というサティアン? 下:02/07/28 21:46
<宮本> 映画にもなったフランスのソフトポルノに「O嬢の物語」というのがあります。O嬢はセック
スの奴隷となるべき、レネというボーイフレンドの指示通り、ロワッシーにあるシャトーに向かう。現
在、シャルルドゴール空港があるところです。そこでありとあらゆる性的快楽、特にマゾヒズムを教え
込まれますが、初めのうちはO嬢も非常に抵抗を示します。このシャトーでは同じような訓練を受ける
女性たちと共同生活します。役所みたいなもので、みんな一緒の行動を取るのです。しかも、この共同
生活では会話をするにも移動するのにも、またシャトーの外に出るにも許可が必要なんです。まるで、
日本の学校の校則に縛られた生徒のようでしょう。要するに個人という存在を認めていないのです。人
間の精神状態はそれほど強いものではありません。だからこのような環境に置かれてしまえば、O嬢も
次第にマインドコントロールされてしまい、彼女の中のマゾヒズムに火がつくようになります。この映
画は、シャトーに入ってからのO嬢の精神的な変化と、それに伴うレネの心理的な動揺、これをとても
エレガントにまとめています。僕はこの映画を見たとき、日本というのは「O嬢の世界」からエレガン
スを抜いたような社会だなと思いました。要するに、日本社会が一つの大きなシャトーで、サラリーマ
ンは佐高さんのいう「社畜」になるためのトレーニングを会社で受けている。マゾヒストになるべく徹
底的にしごかれるんです。その一つがみそぎ研修で、集団で行動させれるものだからどんどんマインド
コントロールされてしまう。また「滅私」というマゾヒズムを嫌って外へ逃げ出そうにも、全国同じシ
ステムだから逃げ出す場がない。だからなおさらマゾヒズムの度合いは高まる。
<佐高> 私は「社宅という名のサティアンもある」と言っているけどね。オウムの信者がサティアン
から逃げようとすると、捕まって連れ戻され、骨を折られたりしましたね。日本列島全体が自由のない
サティアンなんですよ。昔の天皇と国民のように、支配の形態がタテのホットラインになっていて、ヨ
コのつながりが力を発揮できないようにしているわけです。・・・・