http://natto.2ch.net/test/read.cgi/koumu/1002913099/ 【国民健康保険中央会発行 機関誌国民健康保険10月号
厚労省国保課だより】
【今回は七月六日付企画法令係に移動してきた星田君です。】
高校の頃、一般的にかわいいと目されていた同級生のM嬢から、
『星田ってかっこいいよなー』と言われてどきりとした事がある。が、
それは単に『星田という名前』がかっこううといっているに過ぎなかっ
た(名前の話をしていたのだからこれは当然だ)。一度舞い上がった
だけに、自分の勘違いに気付いたときの墜落の衝撃はかえって大き
かった。
ぼくの誕生日は『車輪の下』のヘルマン=ヘッセからぴったり百年後に
あたる。というか、正確に言えば、ヘッセの方がぼくのちょうど百年前に生
まれたのである。そのことを彼は生前大いに自慢したと聞いている。いか
にも凡人のやりそうなことである。誕生日が同じだからといって、何もヘッセ
にぼくのような文才が授かるわけでもあるまいに。
誕生日で思い出したが、ぼくのように物のわかった人間は、間違えずに
世にも美しい日にちゃんと生まれてくる。一方、後輩のTなんかは、あろうこと
か十月十五日に生まれてきたりする。生まれてくる日の条件は、『月と日が
ともに素数』というのが一般に理想とされている(たとえば十一月二十九日
など。当然にぼくの誕生日もこの条件を満たす)が、素数でなくとも最低限
『互いに素』でなくてはならないのは言うまでも無い。Tにしても、十月十五日
に生まれるくらいなら、初めから月日を五で割って二月三日に生まれれば
それで済む話ではないか。
また、友人Kの誕生日は九月十六日である。数学の得意な彼は『三の二乗、
四の二乗』などと吹聴していたが、これは少々技巧的に過ぎよう。味付けに
懲りすぎた料理、飾りの多すぎる服装のようなもので、Kともあろう者が珍しく
不用意な日に生まれてきたと言わねばなるまい。
生まれた日は一生涯変更がきかず、それによりいつまでも人から判断され
続けるわけであるから、人間誰しも、生まれてくる日には注意すべきだと言うこと
である。
【星田 淳也 国保課企画法令係(七月六日付移動)】