【制服】吉原「CUTE/キュート」Part 22【メイド】
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名無しさん@入浴中:
そしてその貢ぎに貢いだ男との間に残ったものは、借金。
どうすることもできない母。
そこで、奈津巳の父が登場する。
自己破産というものがあると、母に教え、無事自己破産が済み。
一緒に住むようになった。
体もなんども重ねただろう。
いつしか、母が24歳のとき、私、奈津巳を身篭った。
そして、母も青木から品川に名字が変わる。
幸せな人生だっただろう、この頃は。
だが、100人に1人はなるという分裂病になってしまったのだ。
このころはまだ「統合失調」という言葉はなかった。
分裂病と呼ばれていて、2000年を過ぎたあたりに「統合失調」と名前が変わった。
そのため、分裂病は「精神病者」「キチガイ」などと色々差別された。
社宅に住んでいた為、母の病気を隠すのが大変なようにみえていたのだ。
私は子供心ながらに、幻聴と会話している母親を忘れられない。
それは普通の姿とは到底かけ離れていた。
母親はにこにこと上機嫌で誰もいない空間に話かけているのだ。
おかしい、そう感じていた。
やがて父と母は離婚した。
理由は性の不一致らしいが、元々性的接触があったように見えなかったのだが・・・。
私が小学校3年生のときだった。
私は泣きじゃくる母親になにもできず、一緒に泣くだけだった。
泣いた母親を見たのは私が7歳の時に母親のお財布からお金を盗んだ時以来のことだった。
心がものすごく痛んだ。
どうすれば母は笑ってくれるだろうか。
どうしたら悲しみから救ってあげられるだろうか。
小さい私には何もできない。
元・父の進めもあり、私と母は生活保護を受けた。
父親としては、「生活費は俺は払いたくないから」という理由だったろうが・・・。
生活保護は二人で月18万円もらい、4ヶ月に一度「子供のため」と称して15万円くれるのだった。
しかし私達母娘は毎日の生活に追われていた。
お金も税金から出ているのになぜ?と思うだろう。
答えは簡単だ。
母親がギャンブル狂になってしまい、3日足らずで生活費を使ってしまうからだった。
私は当時10歳。何もできなかった。
アルバイトもできる訳がなかったし、せめてできることといえば
自分の身の回りの漫画やゲームを売って2〜3000円ばかり手に入れて、
明日への食費につなげることだった。
そのときの食卓事情はひどいものだったと、今にして思う。
お米は高くて買えないので、小麦粉を買って水で溶いて焼いたものをソースをつけて食べる。
それが毎日の夕食だった。
栄養なんて無視していた。お腹に溜まればそれでよかったのだ。
それに、私は昼間は給食があったのでなんとかなっていた。
母はそのとき何を食べていたのだろうか・・・?
きっと何も食べていなかっただろう。
母はお金が尽きるとギャンブルはしない。
しかし、月初めになってお金が入るとまたギャンブルにつぎ込んでしまうのだった。
そんな生活が2年続いた。
私は、12歳、小学校6年生にして始めて性を売った。
元々テレクラ遊びが友達の間で流行っていた。
待ち合わせに来させて、来るはずもない相手をまつ男を見て笑う、そんな遊びが流行っていた。
私が性を売ったのも、テレクラで知り合ったオヤジだった。
本番行為こそなかったものの、自分でも普段触らないような所を散々いじくられて。
「何やってるんだろう、自分・・・」
とむなしさと諭吉4枚だけが残った。
心の傷に気がつかずに。
そのうち2枚は母に渡した。
「スーパーで落ちていたお金だ」
と嘘をついて。
残りは何に使ってしまったかは覚えていない。
それから何度か体を売った。
本番を求めてくる客もいたが、それだけは絶対しなかった。
なぜか、本番行為だけは守りたかったのだ。
「最後の意地」みたいなものだったろうか。
そしてそのたび入ってくる大枚。
むなしさとお金だけが残った。
しかし皮肉なことに、そのお金は生活におおいに役立っていた。
それだけが私の救いのような気がしていた。
否、そうだった。
母もようやく「病気」がよくなり、自分がギャンブル狂だという認知ができ
ギャンブルから抜け出し、普通の家庭が築けるようになった。
しかし----そのころにはもう遅かった。
私は性を売り、父親も居ず、母親もおかしくなってしまい、
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名無しさん@入浴中:2009/10/02(金) 00:01:18 ID:hh7Q7u800
始まった中学校生活に馴染めなかったため自傷行為-「リストカット」-を覚えてしまっていた。
キッカケはインターネットでその行為を知ってからだった。
その人はインターネットの日記で「リストカット」を自慢げに語っていた。
それを真似てみたら、以外とハマってしまったのだった。
音楽に浸りながら一枚刃の剃刀で左腕の手首を切る。
時には学校の屋上への階段で切ったこともあった。
出血を確かめながら、自分の存在も確かめる。
病気の母、援助交際、イジメ・・・私生活が荒れていた私にとって「リストカット」は自分だけの、誰にも邪魔されない空間だった。
母親にも干渉されない。
友達にもバレない。
自分だけの秘密。
少しだけ、優越感に浸れる感じが好きだったのだと思う。
だが、それも長くは続かなかった。
2週間以上続く微熱・頭痛・吐き気・気分の浮き沈み・自分が自分でないような感じ・・・。
ありとあらゆる症状が襲ってきた。
さすがにこれは何か悪い病気だろうと思い、内科にかかり、色々な検査をした。
脳波を調べ、レントゲンを撮って、さまざまなことをした。
下された結果は、自分でも驚きの「自律神経失調症」だったのだ。
自分までもが精神病になってしまうなんて・・・おかしい、絶対違うと言い聞かせたかった。
だけど「統合失調の母から生まれたのがあたし」と認めてしまえばもう楽だった。
内科からの紹介状で精神科にも通ったが、すぐやめた。
元々坑欝剤なんてものに興味はなかったし、
私は欝病ではないからリストカット-リスカ-が収まるとは思ってなかったからだ。
24 :
名無しさん@入浴中:2009/10/02(金) 00:02:37 ID:hh7Q7u800
中学1年。
クラスの中心核となるグループにいたのだが、イジメがすさまじかった。
1ヶ月交代〜♪なノリで標的が変わる。
自分が標的だったこともあったし、イジメる立場だったこともあった。
暴力的なことすらないものの、私物がなくなったり、聞こえるように悪口を言われたり。
休み時間が苦痛だった。
そのグループで「万引き」が流行っていて、奈津巳ももちろんハマった。
近くのスーパーマーケットへ空っぽの学生かばんを持っていき、店員の隙をついてかばんに入るだけ入れる。
化粧品だったり、文具品だったり、お菓子だったりした。
そしてよくたむろしていた地区センターで戦利品を見せびらかしあって笑いあっていた。
一番大きいものや、高価なものを盗めた人がその日のヒロイン。
そんな中学1年生だった。
リストカットや援助交際はこっそりやっていた。
そんな中、私の人生を変えるひとつの事件がおこる。
中学3年生。2学期の中間テスト2日目が終わった日のことだった。
親友のMちゃんと地元で遊び、その帰り。
まだ夕方で明るかった。
だから油断していたのかもしれない。
見知らぬ男に刃物でおどされ、団地の隅に追いやられてしまったのだ。
そして私は「レイプ」されてしまった・・・。
ビデオも撮られた。
前回の被害者の女の子の映像を見せ付けられ、
「この子は終わったあと足を3箇所ナイフで刺してやったんだよねェ〜」
と脅しながら私をいたぶっていた。
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名無しさん@入浴中:2009/10/02(金) 00:06:21 ID:mtHfgnn50
怖くて怖くて。従う以外に何も残されていなかった。
自分の“中”に相手の精が入ってくるのを感じ、情けない気分になり、涙がにじむ。
不幸中の幸い、郵便屋さんがきたため、犯人は逃げていった。
親友と泣き喚き、警察が来て色々聞かれ、産婦人科も行った。
帰宅は朝方になってしまった。
私は家で泣くという、普通の子供ならできる行為ができない子供になってしまっていた。
母親を心配させたくないから。
だからレイプされても泣かなかった。
そんな事件がありながらも、なんとか高校には入学できたのだ。
自分の入れるレベルより2ランクは下の高校。
中学校では女の子にものすごくいじめられていたから、どうせなら・・・と工業に入学。
だけど入学して3ヶ月で辞めた。
集団生活に馴染めなかったのもあるが、束縛されるのが大嫌いなのだった。
決められた時間に学校へ行って、授業を受ける。
こんなことダイッキライだ。
それに、いってしまうと、14歳の頃から16歳年上の男性とお付き合いしていた。
奈津巳は絵を書くのが大好きなので、同人誌なるものを書いていた。
そして、その同人誌を売る場所で初めて出会ったのだ。
何度も愛を確かめた。
旅行も行った。
プレゼントももらった。
私、湯浅奈津巳が星野らいむの名前を語ることができているのもこの男性、Tさんのお陰。
だって、元は奈津巳は自分の顔、スタイルがコンプレックスだったから。
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名無しさん@入浴中:2009/10/02(金) 00:08:39 ID:mtHfgnn50
だけど、Tさんは可愛い可愛い、と褒めてくれ、コスプレという世界があることを教えてくれた。
コスプレ界で生きていくのに大事な人脈、衣装、すべて用意してくれた。
そこで初めて、奈津巳は自分の魅力に気がつけた。
だけどある日Tさんと別れを告げ、新しく出会った男性-今の主人-とお付き合いするようになった。
付き合って数ヶ月目、リスカする私に主人は言った。
「リスカは何も解決にならない。」
わかってる。
そんなことわかってるんだから。
その場しのぎの逃げも許されないの?
私は困惑した。
答えはなかなか見つからない。
見つかるはずもない、だだっ広い海のようなものなのだから。
いつしか芸能界からのオファーがあり、グラビアモデルの誘いを受けた。
だけど私は「はい、どうぞ」とすぐ水着になれるだけの体系をもちあわせてなかった。
つまるところ、痩せないとダメってやつだ。
それから私はダイエットを始めた。
過激なダイエットで、口にするのは蒟蒻と水のみ。
無理がたたって、摂食障害になってしまった。
食べては吐くというものだが、食べる量も半端ない。
普通の人の3〜4人前は食べるのだ。
そしてそれをすべて吐く。