【制服】吉原「CUTE/キュート」Part 22【メイド】
17 :
名無しさん@入浴中:
私が生まれたのは1986年9月のまだ残暑の厳しいときだった。
聞いた話によると、京都の盆地で生まれたらしい。
3600gで女の子にしては大きかったみたいだ。
陣痛が思ったより重かったらしいが、安産だったようだ。
「親バカ」と名前をつけてもいいような父親。
風邪ひとつひいただけで、病院へ行けだのなんだの言ったり、咳止めシロップを夜中に買いにってくれたりした。
一緒に遊んでもらった記憶がかけらしかないのはなんでだろうか。
そして、おやつには手作りのケーキやパイ、手作りの洋服を作ってくれた、
皆に自慢できるような-母親。
それだけでよかった。
それ以外なにも求めなかった。
"そのときだけ”は。
父親は私「奈津巳」が小学校に入ると職を転々とし始めたみたいだ。
京都では何か職についていたらしいが、すぐに神奈川に転居した。
そして私の知ってる限りでは、神奈川の横浜市で車の部品を作る仕事に就いたらしかった。
横浜市T区では社宅に住んでいて、友達も多かった。
当時は母も父も働いていたので、毎日日が暮れるまで遊んで、家に帰ったら誰もいない。
いわゆる鍵っ子だったが、寂しいという感情はまったく抱かなかった。
そこ以外はいわゆる普通の子供だったのだ。
奈津巳が小学校1年を過ぎたあたりから、
母親は前触れもなく精神病-分裂病-になってしまった。
もしかしたら前触れはあったのかもしれないが、私にはわからない。
後に聞く話によると、母の育った環境はものすごかったらしい。
18 :
名無しさん@入浴中:2009/10/01(木) 23:45:32 ID:hh7Q7u800
祖母が男狂い。
父親が1年ごとにかわる生活をしていたので、引越しもしょっちゅう。
だから学校も転校ばかりで友達もできない。
そんなある日、何人目かの父親がタバコをきっかけに火事をおこしてしまった。
そのときの祖母(母の母)の言葉。
「晴代(奈津巳の母)のせいにしてしまえばいいんじゃない?まだ子供だから
許されるでしょ?」
結局火事はそんなに大きく広がらなかったみたいだが、自分のせいにされるなんて・・・。
そして母は18歳になったとたんに家を出て、風俗で働きだした。
どんな出会いだったかは聞いていないけど、母が20歳過ぎの若いときある男性に恋に落ちた。
その恋は「お金」というものでつながれていたらしい。
そしてその男性に貢ぎまくる毎日。
サラ金にも手をだした。
どんなことをしてもその男に金を使った。
そして、21歳の時身篭った。
相手は父親の認知を拒否し、母親一人で育てるつもりで産んだ。
だけど、お金も底をつき、ミルク代すらない日々。
「自分はこのまま我死してもいいけど、この子だけは・・・」
と、その子供を施設へ預けた。
「”のぞみ”といいます」と。