【援護団】吉原オペラ24【暴力団】

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152援護団 ◆UJ5vO5tTGM

《疑惑の城@》

25年前の1984年、吉原花園通りに一戸のソープランド店舗が建築された。
84年はトルコからソープランドへと名が代わった歴史的な年である。
その遡ること数年前、建物建蔽率と容積率が緩和され、
また好景気が推移し日本企業にはかつて無い程の金余りが生じていた。
「不動産」・・この巨利を生む魅惑の温床に膨大な資金が集まるのは必然だったのかも知れない。
ありとあらゆる種別の物件に金が流れ込み価格は高騰していく。
空前絶後の不動産ブームが日本、特に首都東京に訪れようとしていた。

ここに旧オンステージミラノの店舗建物登記事項証明書がある。
それには確かに「昭和59年」つまり1984年の10月3日に建築されたとある。
しかし証明書の甲区(所有権)に次の登記がされている。

『順位番号1、所有権移転、昭和61年2月14日第2866号、昭和61年2月13日売買、
所有者台東区寿三丁目〜以下省略〜有限会社一喜、順位3番の登記を移記』

有限会社一喜はオンステージミラノのオーナー会社。但し、上の登記の
‘順位3番の登記を移記’?これはいったい何なのか?
実は84年10月に建物が建築されミラノが86年2月に売買で購入するまでのたった
1年4か月の間にすでに2度建物所有者が代わっているということをこの登記は示している。
だが、登記事項証明書にはミラノの前2者の詳細は記されていない。そこで「移記」である。
(つづく)
153援護団 ◆UJ5vO5tTGM :2009/06/14(日) 00:48:00 ID:f9IPzQsK0
法務局には登記官という公務員がいる。登記官は「記録事項が過多となったこと、
その他の事由により取り扱いが不便となったときは・・・新しい登記記録に移記することができる」
と不動産登記規則6条にある。
要はグジャグジャ沢山書いてあって登記記録がみづらい場合は新しい登記記録をつくり
途中からのデータを移していいですよと。そういう意味である。
ちょうど私がオペラスレにグダグダ長文を書いていて読みにくくてしょうがない。
だから別スレをつくって・・・の話と同じである(笑)(笑)(笑)。
これが移記の意味なのであるが、‘順位3番の’とはミラノが3人目の所有者ということである。
この建物の記録が建築当初からグジャグジャ書いてあるから新しい記録に移記した。
ではなぜグジャグジャなのか?
それは25年前、この建物が建築され間もなくの頃から深刻な法的紛争が起こっていた可能性である。
しかも翌年の85年には風営法の歴史的な大改正があった。実はソープ店舗建物の建築が
全面禁止されたのが85年なのである。ミラノの店舗は84年建築。当時はピカピカであったのだ。
店舗建築は不可能となる中で、新築間もないミラノの店舗は当時のトルコ店オーナー達の目に
どう映ったであろうか?喉から手が出るほど欲しかったのではなかろうか?
ただでさえ世は好景気で金余りである。高くても是非買いたい!そう思ったのではなかろうか?
最初と2番目の所有者はこの店舗を転売して多いに儲けた。
借入れはしたがそれを返済しても膨大なカネが懐に転がり込んできた
(ミラノが86年に物件を購入した際にノンバンクから借入をしたが、この時のノンバンクの
根抵当権は同じく‘順位3番から移記’とある。従って前2者も金融から借入した事実がこれで分かる)。
だが同時にこの転売の過程で何かしらの法的トラブルがあったのではないか?
それが登記されて登記記録がグジャグジャになり読みづらくなったのではないか・・・と私は考えている。
まさに「疑惑の城」である。
《次回につづく》
注) 以後はもっぱら店舗建物を前提に記させて頂きます。ミラノが店舗建物及びその土地を購入してからの
  権利関係はほぼ同じであるからです。但し、必要があれば随時土地の権利関係にもふれることとします。
154名無しさん@入浴中:2009/06/14(日) 02:35:04 ID:2kQyJN4/0
何が言いたいんだ?このバカは。
155援護団 ◆UJ5vO5tTGM :2009/06/14(日) 02:44:59 ID:f9IPzQsK0
《疑惑の城A》

有限会社一喜(オンステージミラノ)は店舗建物の3番目の所有者ということで、
かなりの高値で店舗建物を購入したことがうかがえる。
何はともあれ86年に一喜は物件を購入しソープランド経営を開始したわけであるが、
もちろん自己資金で購入したわけではない。
登記事項証明書の乙区(所有権以外の権利に関する事項)を見てみよう。

『根抵当権設定、昭和61年2月14日第2867号、昭和61年2月13日設定、
極度額3億2,000万円、債権の範囲 信用組合取引 手形債権 小切手債権 
債務者 台東区寿三丁目〜以下省略〜有限会社一喜、
根抵当権者 新宿区四谷二丁目13番地
第一勧業信用組合 共同担保 目録(せ)第5682号 順位3番の登記を移記』

なんと極度額3億2,000万円である。23年前当時、吉原(千束4丁目)にも
地価高騰の波が襲っていたことが一目瞭然である。
しかも債権者の第一勧業信用組合は当時の第一勧業銀行(現みずほ銀行)の有名な
直系信用組合。今も社名はそのままで当時と同一の場所(新宿四谷)に本社をおく。
一般的に銀行は風俗営業への融資には消極的であるのだが、当時はとにかく「イケイケどんどん
カネ貸せドンドン」のバブル時代で過酷な貸出ノルマが個々の行員には与えられていた。
この時期は系列ノンバンクを使った迂回融資がどの銀行においても行われていたことから、
実際の債権者は第一勧業銀行であったのではないか?と私は推測する。
つまり、「お育ちも品も良いエリート銀行」で知られた一流銀行=第一勧銀が吉原ソープランドに
融資では世間体が悪いし、社内の貸出稟議書にも書き難い。だから子会社の第一勧業信用組合
に命じて融資させた・・・・・・・・。
(つづく)
156援護団 ◆UJ5vO5tTGM :2009/06/14(日) 02:45:30 ID:f9IPzQsK0
さて、吉原で店をオープンした一喜であったが、第一勧業信用組合からの借金返済は負担と
なったもののソープランド経営は絶好調そのものであった。おりからのバブル景気の
追い風をうけ、さらに夕月時代に培った豊富な経験と優れたソープ経営のノウハウを武器に
業容は順調に拡大していった。
出勤姫は口開けからラストまで全員予約でびっしりと埋まる。接待や貸切りも多かった。
店は連日オープンからラストまでフル回転であった。85年の風営法大改正により夜12時以降の
客の来店は不可となったが、そんなのは関係がなかった。毎日のように多額のカネが入る入る。
笑いが止まらなかった。借金を返済してもスゴイ金額の現金が手元に残る。
世間は財テクブームとやらで普通の専業主婦や学校出たての若い小娘OLが株で儲けていると聞く。
「そういえば野村證券、大和証券といった有名証券からのセールス電話が毎日のようにくるよな。
俺もいっちょやってみるか・・・・」
これがその後の長い地獄のイバラ道へとベクトルを定めることになろうとはオーナーはこの時
思いもしなかった。

1990年(平成2年)。事態が急変する。歯車が狂いだしのだ・・・・・・。

《次回につづく》
157名無しさん@入浴中:2009/06/14(日) 03:18:13 ID:W8YoZ9XD0
援護団さん↑
もったいぶらないで続きよろしくおねがいします
楽しみにしてます