【かぐや姫】川崎プリンセスグループ【倶楽部姫】13

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45名無しさん@入浴中
猪木が現役中に行ったそれは、当時、一部で巻き起こった「プロレスは八百長、または、見世物的だ」という評価や風潮を打開し
、猪木自らも「(自身をプロレスラーとして極めるための)他の格闘技への挑戦」、「(自身がプロレスを代表しての)他の格闘技との対戦」、
そして「プロレスこそ世界最強の格闘技」の証明を目的として行われてきたものといわれている。しかし実際は、後述するモハメド・アリ戦の実現をきっかけとし、
そこから派生した借金の返済を目的とする新たな興行の側面が強い(一連の格闘技世界一決定戦の試合は「ワールドプロレスリング」の放送とは別に「水曜スペシャル」で放送されるため、
その放映料が入る故)。 
46名無しさん@入浴中:2007/06/25(月) 05:08:37 ID:OB8IvN2D0
格闘技戦と銘打たれていたが、当初は実際のルールの折衷や妥協・擦り合わせの面でうまくいかず、
結果的にプロレスラーにとって不利となるものも多かった。また、「真剣勝負」を売りにしてはいたものの、
実際にはアリ戦やアクラム・ペールワン戦などを除いて普通のプロレスと変わりなく、いずれの試合も筋書きに沿ったものだった。

1976年2月6日、対ウィリアム・ルスカ(柔道家)戦で始まった猪木の一連の異種格闘技戦は、
1997年1月4日の対ウイリー・ウイリアムス(熊を倒した空手家)戦まで20数試合行われた
47名無しさん@入浴中:2007/06/25(月) 05:09:54 ID:OB8IvN2D0
その中で最も有名な試合は、1976年6月26日に行われたプロボクシングの統一世界ヘビー級チャンピオン(当時)である対モハメド・アリ戦である。
この試合に対する当時の評価は、俗に猪木アリ状態と呼ばれる「こう着状態」が延々と続いた挙句の引き分けだった事から
「世紀の凡戦」とする見方が圧倒的に多かったが、そのボクシング有利の特別ルールが判明し、
近年の総合格闘技ブームに至って、現在では評価する者も多い。また、数少ない引き分け戦の中で唯一再戦がなされていないため、猪木が勝利していない相手はアリだけである。

唯一1敗を喫したのは、1989年4月24日の対ショータ・チョチョシビリ(柔道家)戦であったが、その約1ケ月後の5月25日に再対戦し、リベンジに成功している。

48名無しさん@入浴中:2007/06/25(月) 05:10:37 ID:OB8IvN2D0
猪木が設立した新日本プロレス(以下、新日)では、「純プロレス路線」と「異種格闘、総合格闘路線」との二つの方向性の微妙なバランスの上で成り立っているといえる。
以降、大きな大会では純プロレス系の組み合わせと、総合格闘系・異種格闘系の対戦とが混在している。

また、それが新日の純プロレスの技や駆け引きにも一種のフィードバック現象を起こしている。よって、
現役時代の猪木本人のみならず所属レスラーの多くが、純プロレスの試合であってもピンフォール(3カウント)勝ちばかりではなく打撃技でのK.O.(ノックアウト)勝ち、
関節技や絞め技などを使ってのギブアップ勝ちを取るなど、双方の闘い方を行う傾向にある。これらは、多くのプロレス団体の闘い方にも影響を与えている結果となっている。

49名無しさん@入浴中:2007/06/25(月) 05:13:10 ID:OB8IvN2D0
猪木引退後、新日に双方の路線が受け継がれている結果、所属レスラーは、常に、プロレス以外の格闘技団体や格闘家の挑戦を受けざるを得ないことになった。
しかし、筋書きが決まっていた猪木の異種格闘技戦と異なり、純粋な格闘技が行われるリングに登場した新日本のレスラー達の多くは惨敗を喫し、
新日本プロレスとレスラーの評価を大いに貶めた。

一方、猪木はこの分野の先駆者イメージを生かし、PRIDEのプロデューサーとなり、定期的にこの大会を行い、
対プロレス以外にも様々な異種格闘技戦を企画、展開することとなる。その代表的なものが、PRIDE対K-1等の各所属格闘家の試合などである。
また、PRIDE同様にK-1も異種格闘技戦の性格を持つ。