【かぐや姫】川崎プリンセスグループ【倶楽部姫】13

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275名無しさん@入浴中
洒落っ気のある性格で、タイトルマッチ勝利後にファンとの約束でリング上にて歌を披露した事もあり大いに人気を集めた。
(持ち歌として「炎の男」がある) 
日本中を感動の渦に巻き込んだ柳済斗との第二戦の翌日、都内で強盗が銀行に立て籠もる事件が起こった。
このとき警察官が犯人に対し「お前も昨日の輪島の試合を見ただろう。輪島を見習い人生をやり直せ」と説得したという。
あまりにも劇的な輪島の王座復活は、当時の国民的関心事だったことが伺える。 
276名無しさん@入浴中:2007/07/21(土) 18:15:39 ID:vyE2i/D60
本名の「公一」から「功一」に改名した理由は、ある試合でリングアナウンサーに「ハム一」とコールされたためである。(本人談) 
ちょっととぼけたキャラクターで現在もバラエティ番組などに引っ張りだこの存在であるが、実生活においても、
日課の犬の散歩がてら、ゴミ拾いを欠かさない好人物である。 
引退後は団子屋をはじめ、成功を収めている。現在は国分寺市の中央快速線国分寺駅の北側に団子屋「だんごの輪島」がある。
輪島本人はジムに専念するため、店舗経営を義弟に任せているが、「ファイト最中」など輪島にあやかった商品もある。
1994年に『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の「だんごバスツアー」と称した企画にも団子屋が登場したことがある。
1999年には『だんご3兄弟』が流行った頃、歌にあやかった団子「だんご3姉妹」を売り出し大売れした。 
277名無しさん@入浴中:2007/07/21(土) 18:16:22 ID:vyE2i/D60
がいて、みんなが楽しそうにしてるのを見たら輪島の人柄がわかるでしょう」と愛弟子を自慢げに語る。

中学卒業後上京。トラックの運転手などいくつかを経て、三迫ボクシングジムに入門。1968年3月、25歳でプロデビュー。全日本ウェルター級新人王獲得

ある日プロ選手とスパーリングをし1日目はノックアウトされたが、翌日は輪島の判定勝ち。ボクシングの技よりも「真髄」を先に見出したような男である。

これが相手の強打を外して打ち、大男の顎を打ち抜きマットを這わせ、観衆を感涙に導いた変則ボクシングの序章であった。

1969年9月、日本スーパーウェルター級王座獲得。一度は王座防衛に失敗するも、すぐさま奪回に成功。

278名無しさん@入浴中:2007/07/21(土) 18:16:53 ID:vyE2i/D60
1971年10月31日、東京・両国の日大講堂で世界初挑戦。統一(WBA、WBC)世界スーパーウェルター級王者カルメロ・ボッシ(イタリア)に挑む。
体をかがめ相手の視界から消え、次の瞬間跳ね上がるようにしながら拳を振り上げる「かえる跳びアッパー」で一躍有名になる。試合は15回判定勝ち。
世界王座奪取に成功。この頃から三迫会長の実兄の長男三迫将弘が輪島の付け人やスパーリングパートナーを務めていた。
しかし、当の試合は郡司信夫氏に「あんなのはボクシングではない」と酷評されてしまった。
しかし、輪島はそんな言葉をあざ笑うかのように、今度は正統派のボクシングで防衛を重ねていくことになる。

翌1972年5月の初防衛戦ではドメニコ・チベリア(イタリア)を開始109秒で速攻KOし、その後、通算6度の防衛に成功。

279名無しさん@入浴中:2007/07/21(土) 18:17:27 ID:vyE2i/D60
1974年6月4日、オスカー・“ショットガン”アルバラード(米国)を挑戦者に迎え、7度目の防衛戦を行うが、最終15回KO負けを喫し、王座陥落。

王座陥落から7ヵ月後の1975年1月21日、アルバラードと再戦。15回判定勝ちで雪辱し、WBA、WBC王座返り咲きに成功。
3月にWBC王座を剥奪され、以後WBA王者。6月7日の初防衛戦で柳済斗(韓国)に7回KO負けを喫し、
WBA王座陥落。だが、翌1976年2月17日、柳と再戦し15回KO勝ち。2度目の世界王座返り咲きを果たす。
5月18日の初防衛戦でホセ・デュラン(スペイン)に14回KO負けを喫し、三たび世界王座から陥落。

1977年6月、3度目の世界王座返り咲きを懸け、WBA王者のエディ・ガソ(ニカラグア)に挑むも、11回KO負けを喫し、結局この試合を最後に引退。

最終戦績は31勝(25KO)6敗1分。