【かぐや姫】川崎プリンセスグループ【倶楽部姫】10
イビチャは、ユーゴスラビア紛争終結後もわだかまりの残る
旧ユーゴスラビア構成諸国家内各民族の間で、
今なおどの民族からも尊敬を集め得る人物の一人であるといわれている。
これはユーゴスラビア代表に栄光をもたらした功績によるものである。
彼が代表監督に就任する直前のユーゴスラビア代表は、
ヨシップ・ブロズ・チトーの逝去に伴う各民族のナショナリズムの勃興に並行するような形で、
試合の開催場所によってチームの構成が大きく変わる有様だった。
つまり、ベオグラードで試合をする際にはセルビア人中心の構成に、]
ザグレブで試合をする時はクロアチア人中心の構成にといった具合にである。
イビチャはこうした民族的な配慮を排除した上で、
必要ならば11人全員をコソボのアルバニア人で揃えると言って憚らなかった。
こうして完成したチームはドラガン・ストイコビッチ、
デヤン・サビチェビッチ、 スレコ・カタネッツを擁したスター軍団となった
しかし、90年ワールドカップの初戦ドイツ戦で、各民族のスターばかりのバランス
やチームとしての総和を無視したオールスター起用(というよりも、
実質上はサビチェビッチのスタメン起用)を強いようとするマスコミに対して、
イビチャは敢えてその通りの起用をし完敗させてみせ、
次の試合ではバランスなどを優先したチーム編成を行って勝利し、意趣返しを行った。
これによりマスコミが大人しくなっただけでなく、
ユーゴスラビア国民も民族エゴ丸出しでは良くないと知ったのである。
以降は勝利を重ね、準々決勝で「天才」と称される
ディエゴ・マラドーナが率いるアルゼンチン相手に2人欠きながらも
120分間無失点のドローに持ち込み
PK戦で敗れた。