吉原の事なんでも語れ
角萬の冷肉は美味い!!
江戸の遊郭である吉原が誕生したのは江戸時代の初めのことでございます。
関白秀吉公の命令で徳川家康公が江戸城に入府された天正18年(1590)8月1日から
、のんびりした田舎の江戸は状況が一変。慶長5年(1600)の天下分け目の決戦、
そして同8年に家康公が征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開いてから、
京の都から遠く離れた関東の江戸は、
鎌倉幕府以来の武士の都として発展を遂げることになりました。
「君はいま 駒形あたり ほととぎす」
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、
お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く
生まれては苦界
死しては浄閑寺
花酔
伊勢屋の天丼は美味い
NHK見ろ
これが浄閑寺だ!
ちなみにこの浄関寺、アラーキーの菩提寺でもあります
奥さんの陽子さんのお墓もここにあります。
実家はすぐ斜向かい
竜泉は明治の文豪、樋口一葉が住んでた事があります。
12 :
名無しさん@ピンキー:02/02/17 20:31
見返り柳側、ラーメン武蔵は、最高のうまさ。
まだ有ったんだ、このスレ(藁)
余談ですが、ソープ街からチャリンコで小学校の時の同級生が
飛び出てきたんですよ、黒いスーツにネクタイ姿で。
あいつは、店員でもやってるのか・・・・・
17 :
名無しさん@ピンキー:02/02/17 21:13
吉原名物、河金丼!
これは、隣の玉の井(東向島)の話です。
永井荷風(ながい かふう)明治12年〜昭和34年
墨東綺譚(ボクトウキダン)
あらすじ
主人公の大江は、小説の取材のため東京向島寺島町、
俗に「玉の井」とよばれる私娼街をしばしば訪ねる。
小説家である大江は、作者永井荷風自身を思わせる。
6月末のある夕方。突然の雨の中、大江の傘の下に飛び込んできた女がお雪だった。
それをきっかけに大江は、お雪のもとに通いはじめ、
彼女と過ごす時間に心の安らぎを得る。
やがて、
お雪は、大江に特別な感情を抱き「おかみさんにしてほしい」と願うようになる。
大江は切ない気持ちをたかぶらせながらも、静かに身を引いていく。
本書は隅田川の東側つまり玉の井の風景を描いた随筆的な小説です。
永井荷風的な生き方について、すこし考えてみよう。
荷風の生活はとてつもない問題児だった。
明治時代の文学は、今でいえばロックかパンクだろう。
そして、吉原といえばソープか風俗だろう。
中学生の時代から風俗にかよう子供を想像できるだろうか。
父親とは度々ぶつかったに相違なく、しかも成人してからも正業につかずに、
父親に養育され続けている。
結婚と離婚を繰り返し、たしか性病にも冒された経験があるはずである。
玉の井は、大正に入って開かれた町で、ここで働く女性の数は、
7〜800人を数えたという。
永井荷風「墨東綺譚」に描かれた大私娼街、花街のあった一帯。
往年のロマン漂う遊郭風建築、貧乏稲荷と呼ばれていた玉の井稲荷、
曲がりくねった路地などにその面影が残る。
玉の井遊廓といえばまず思い浮かぶのが、
路地の入口にかかる「ぬけられます」のゲート。
ところがこの「ぬけられます」、看板に偽りありもいいところ。
路地をはいるとさらに細い路地や横丁が交錯し、
通い慣れた人でもグルグル同じところをめぐるハメに陥った。
一度はいったら出られない「ラビラント(迷宮、迷路)」は、
やたらと多い交番、風呂屋、お稲荷さんと並んで玉の井名物だった。
25 :
名無しさん@ピンキー:02/02/23 13:45
あの音羽信子と津川雅彦が出てくる映画は未だに見て飽きないね。
玉ノ井の雰囲気は、なんていうかお祭りみたいににぎやかだったんだね。
飛田新地とか松島新地に似た風情があるけど、
所詮は「ちょんの間」だしねえ。
織田作之助の夫婦善哉で主人公の柳吉が飛田遊郭の前に
一善飯屋を出して、遊郭からの朝帰りの客をターゲットに
ひと商売打ったというストーリーがあるね。
昔は遊郭の朝帰りって粋だったんだろうね。
今は風俗通いは無粋だと言われるご時世で...。
吉原のお歯黒ドブの跡は今はもう道になってます。
28 :
名無しさん@入浴中:
さらに、薀蓄キボン。