【mixi】イタイ!!腹立つ!!メッセージ&日記

このエントリーをはてなブックマークに追加
777友達の友達の名無しさん
2005年11月09日
21:06 命日
今日は母の命日でした。
母が亡くなったのは、4年前の今日、忘れもしない金曜日の早朝でした。

当時、ある高校で情報指導員をしていたカークさんは、土日にかけての通夜、葬儀の後、
月曜日には普段とじように学校に出勤しました。まるで母がカークさんの仕事に不都合が
ないようにしてくれたかのように、カークさんは思いました。

母はいつもカークさんのことを気にかけていてくれたのですが、
親不孝者のカークさんは、最後まで母に心配ばかりかけていました。
会社を辞めて、インストラクターの道を歩み始めていたカークさんが、
初めて手にした先生と呼ばれる仕事。
それを母に報告した時、母は既に癌が脳に転移し言葉を失っていました。それでも眼に涙を浮かべ、カークさんの手をしっかり握り締めた母の姿。今でも忘れられません。

実家に赴き、仏壇に線香を上げたあと、父が言いました。
家を取り壊して立て直すことに決めたと。
もう業者に頼んだそうです。
数年前からそんな話はしていたのですが、やはり父も
長年続けた商売のことや母との暮らしの事が思われて、
なかなか決心がつかなかったようです。業者に頼んでしまえば、思い切りもつくだろうと思ったと父は言ってました。でもその姿がなんだかとても寂しげで…。

早くから家を出ていたカークさん、母が亡くなったとき、
その時点で既に一緒に暮らした以上の年月を両親と離れて過ごしていました。普段から自分の傍に母がいないのが当たり前になっていたので、母が亡くなった後もそれがどうしてもピンと来ないまま4年が過ぎていました。

でも、父のその言葉を聞いた途端、なぜでしょうか。
カークさんには母の死が初めて本当に現実のものとなりました。
思い起こしてみれば、無くなった後も実家に母の痕跡を感じていて、
だからこそ母が亡くなった事を自分で認めたくなくて、
あまり家にも帰らなかったのかもしれません。
一緒に暮らした時間は短かったとはいえ、母の匂いがそこかしこに残っているように思える家が無くなってしまう。、
今更ながらに、カークさんは寂しい思いで一杯です。

でも、カークさんは父親譲りのひねくれ者です。
父の前でそんな事は間違っても言えません。
その場では父に、よく決心したと諸手を挙げて賛成してきました。
でも、きっとカークさんのそんな心の中も、父には見透かされてしまったことでしょう。カークさんが父の心の中を見透かしたように。だってよく似た親子ですから(笑)
===========================
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=393895
マザコンうぜえ。そんなにママが恋しいなら、お前も死ね。