おねしょフェチ

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108地図屋
3.インターネットの可能性 〜「趣味系」と「治療系」の二元論を超えたい〜
 先に書きましたとおり、100さんのHPの内容を社会的問題として非難することは、
私も含めてその権利がないと考えています。
 しかし、それでもなお、(雑誌やTVで取り上げられてしまったこともありますが)
一定の役割を果たしてきたからこそ、今、問題視されていることも理解してます。
 このなかで、管理者が「趣味系」であることを明示すべきであるとの意見や、
「治療系」である以上「趣味系」の人間は撤退すべきとの意見が出ています。
 しかし、このHPの果たしてきた役割とは、この「治療系」と「趣味系」を
相反するものとしてこなかったことにこそ、現れているような気がしています。
微力ながら私のような趣味系の人間も情報提供などをできるだけやったつもりです。
また、おねしょを「個性」として考えることにより、差別的あるいは自虐的な状況から、
抜け出せる方法はないかと思案しました。
 趣味系とはいいながら、1人の人間としてどうしようかと考えるきっかけはつかめるのです。
 そこで、これまでどおり、100さんのページでは趣味系の人と当事者とを分けることない
方向で継続して欲しいと考えます。
 このような立場に立つと、管理者の100さんの「庭」とは言いながら、
100さんが趣味系の人であるか否かは、どうでもいいような気がするのです。
 ただし、確かにマナーとして、このHPがどうゆうHPであるかの案内を入たほうが
いいとは思います。
 私としては、(1)「おねしょという個性を、思い悩む人、愛する人、関心がある人の集う場所」
というような幅広い間口を持ったトップページの案内と、(2)ページの編集方針を書いたページの
設置を行えば、良いというように考えています。(思い悩んだあげく、前に書いた提案とは異なるものとなりました)

 以上、一生懸命、考えて書いてみましたが、あまり纏まらず申し訳ありません。
皆さんにうまく伝わらないとは思いますが、とにかく、私の意見を書かしていただきました。失礼します。