女のふんどし

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184Aさん
輪島(舳倉島)の海女のさいじ(縄褌)姿は昭和40年代にウエットスーツに変わりました。
対馬の海女もその頃にウエットスーツになりましたがこちらはもうほとんど潜っている
人は無くなったらしいです。

もっこ褌と言うのは越中の前と後ろを紐に固定したものと思ってください。簡単で越中
のように外れ難いので大正時代の終わりまで下着として使っていたようです。

越中は軍隊で使うし手拭の代用にもなると言う事で昭和に入って圧倒的になりました。
でも昭和30年代まで地方の和服を着るおじさん達は温泉で見たのですが六尺の人も多かった
ですね。

水泳の六尺はやはり昭和30年代でパンツに代わりました、私の頃は六尺で。

民俗学の研究をしていますので過去のつまらない事を知つています。