母娘2世代同時調教

このエントリーをはてなブックマークに追加
171快楽拷問人
だが、これが二ヶ月目位から崩れて、週一度顔を見せるか
どうかというくらいになった。こちらも時間的にそう決まっ
て居ることができなくなっていたのは事実だが、X子の本気
の度合いだった。このころは、Y子とは書いてきたようなかなり
密度の高いやり方がエスカレートしていたけれど、受験前
のこれもちょっと書いたけど、少し距離をおいていて、
X子を緊縛することも抱くことはしなかった。けれども、Y子は
この部屋に頻繁ではないが来続けた。学校があるわけでないから、
こちらがアルファインや駐車場からの出発のような責め時間がとれ
ない時に、呼ぶと出かけてきた。くれば、その時々によって変わったが、
緊縛して抱くということは同じだった。足枷をつけてよちよち
歩きさせたり、イスがあるので、それに座らせて縛ったり、
ということがあるけれど、最後は少し簡単になるが同じ鎖緊縛で抱く。
このイスは、X子が来るようになると座っていた。鎖ですれている
箇所があるけれど、べつにその痕だとはわからない。X子が前に
座ると、昨日ママがそこで呻いていたんだよ、といってやりたい
衝動がある。X子が棚の前に立つと、そのお前が踏んでいる
じゅうたんの上で、ママはいつも、鎖をじゃらじゃらいわせながら
のたうちまわっているんだよ、と教えてやりたくなる。
X子がもう私が鎖や責具を使うのは知っているので、
鎖や鉄枷などの責め具は部屋の中に見える形で置いてある。
実際には、X子にはY子を連想させないように気をつけた。Y子は
かなり強い香水を使っていたが、まったく使わないX子は敏感な
はずだから、Y子を送り出した後は、いつも窓を前回にしておいた。
その時には気がつかないが、後になるとそうではなかったか、と
思うことがある。これは一回だけだったが、女をY子をイスの上に
アグラ縛りにして首につないだ鎖をテーブルの反対側から引っ張って
いる時のことがありありと思い出されるのだが、Y子の携帯が
鳴ったのだ。