SM関係の事件(犯罪を含む)を報告汁

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超感覚的な観察に従えば、こうした浄化の炎の世界に付いては、次の様に言わなければならない。
すなわち、この世界に生息している存在は、霊的な目から見れば、往々にしておぞましく、
苦痛を呼ぶ外見を持ち破壊を喜びとしている様に見え、感覚世界の悪などとは、
比較にならない悪に情熱を注ぐ存在と言える。人間が、この世界に持ち込む欲望は、
この朱の存在によっては、己の威力を絶えず新たに増強する養分となるのである。
感官には知覚不可能の世界について素描されたこうした光景は、動物世界の一部を虚心に観察してみれば、
人間にとって、いっそう容易に信じられる様になるかもしれない。霊的な眼から見れば、
残忍な様子で徘徊するオオカミとは、一体、何であろうか感官がオオカミについて知覚する事柄には、
何が開示されるであろうか。欲望の形で活動し、欲望を通じて作用する魂以外の何ものでもない。
472:2007/11/07(水) 07:01:28 ID:zKknxsvU


オオカミの外的な姿は、こうした欲望の体現と見ることが出来る。人間がこのような姿を知覚する器官を備えていなくても、
そうした欲望が、その作用を通じて目に見えない形で現れる場合には、つまり、可視的なオオカミがおこなう一切のことを行ないうる
不可視の暴威が徘徊している場合には、それに、相応する実在を認めないわけにはいくまい。ところで、浄化の炎で精進される存在は、
感覚的知覚では、不可能であり、超感覚的意識によってのみ知覚可能なものである。とはいえ、その作用は、顕在している。
つまり、この作用の本質は、自我がこの作用に養分を与えるようなことをすれば、自我が破壊される点にある。
この作用が明瞭に現れるのは、根拠のある愉楽が不節制や放縦の域にまで進んだ場合である。


473:2007/11/07(水) 07:05:12 ID:zKknxsvU

浄化の炎で精進される存在は     訂正 →焼尽される存在は



感官に知覚可能な事は、愉楽が自我の本姓に根を持っている場合に限り、自我にも刺激を与えるだろうからだ。
動物は、3種の身体要素が欲求するものを通じてのみ、外界の中で欲求に駆られる。
人間は、より高次の愉楽を有している。三種の構成要素に、第四種の構成要素、すなわち自我が付加されているからである。
だが、自我が自らの存在を維持し助成するのに役立たない欲望、自らを破滅に導く欲望の充足を求めるような場合、
その欲望の発生は、次ぎのような存在の影響に他ならないのである。すなわち、この存在とは、真実の姿を感官には、
現さないが他でもない自我の高次の本性には接近でき、自我を刺激して、感官とは無関係だが、
感官を通じてしか充足させ得ない欲望を自我に抱かせる存在である。(拾悪大敗)この存在は、
いかなる動物的な情熱や欲望よりも有害な情熱や欲望を養分としている存在に他ならない。