864 :
名無し調教中。:05/03/17 15:34:38
初カキコなんで宜しく。
859の言ってた事はなんとなく解るかも。でも逆もありえるんじゃない?
虐待を受けていたから、または厳しい教育を受けていたから受身的な感覚を嫌う。
受けていないものは受身的なものを欲する。
俺は個人的には厳しい教育されてたと思ってるけど、M性は殆ど皆無。女の子の脅える様な、捨て犬の様なそんな表情にKOされます。
どこかにMっ娘転がってないっすかね?
ミユさんの序列の概念、面白いですね。
860さんは年の差について、儒教的な縦社会の概念を言っているのか
それとも単なる人生経験の差を言っているのかどっちなんでしょうね?
私は人生経験のことだとばかり思っていたので、序列の概念に関しては考えてもいなかったです。
どちらにしても支配と地位の関係が既に築かれている日本文化のほうが私的には面白いと思います。
欧米では大人も子供もひとつの個人を尊重し、敬語が存在せず、比較的上下関係がラフですよね。
欧米をネコ科社会に例えるなら儒教の国はイヌ科社会。
その中でも喜怒哀楽をできるだけ表現しないことが美徳とされる恥の文化を持つ日本においては
他の国では見られない独自のSM文化が発展した経緯があるようです。
いまだ儒教の国、韓国のSM文化、知られざる北朝鮮のSM文化なども興味をそそられますね。
>>864 一概に万人に当てはまるわかりやすい数式のようなものがないから面白いとも言えます。
性癖と幼児体験との関連に関しては心理学的、医学的に学問としてアプローチ可能なんでしょうが
本人の記憶に頼るしかないところで客観的データーが取りにくく難しいんでしょうね。
色んな女性の性癖についてじっくり聞いていると、そこからヒントが出てきて、更に掘り下げて追求していくと・・・
それはそれは面白いですよ。
>>865 韓国や中国にはSMの概念はないと聞いたな。
韓国人SMクラブのママさんが自分の国の人間に説明不可能だって言ってましたよ。
儒教とかなんとか以前に、日本風味のSMってのは「いじめと甘え」社会の拡大(もしくは歪像)
なんじゃないかな?
有形のものでも無形のものでも、個人がその人物であるがゆえに真に所有・創り上げる
ものごとが最優先扱いされない脆弱な社会では、変態性を満たそうとする場合でも
飛びぬけたスタイル・感性は育たなかったのではないかな?
西洋のSMのように「征服」とか「共に快楽を貪ろう!」という力動感がないから、
私は和風なSM(責め絵、荒縄、江戸時代の罪人の拷問・処刑といったイメージ)は
好きになれないし入り込めないな。
西洋人が和風SMをキッチュにやってるのはおもしろいけどね。
新参者です。よろしく。
>儒教とかなんとか以前に、日本風味のSMってのは「いじめと甘え」社会の拡大(もしくは歪像)
>なんじゃないかな?
面白い考えですね。とくに「日本風味」という定点を与えたことと、「甘え」というのが。
M男に話を限定してみれば、良妻賢母的な性を抑圧された女性のイメージを
持たざるを得なかった「日本男児」が求めた女性に対する「甘え」の幻想。
それが自分より絶対的な上位にある支配者である女性の存在だったのではないかと。
江戸〜明治初期にかけては、公娼や「観音さま」の存在があったため、そのような
幻想は必要なかったのでしょう。貞操観念の発生が谷崎あたりに繋がる気がします。
では「M女」というのはいつごろ発明されたのでしょうか。
そもそも、男尊女卑的な世界であれば、男に仕える女というのはごく当然の存在で
それを差すのに「M女」という表現は必要なかったはずです。「女」で十分。
やはり社会的に女性が強くなってきてから、「M女」という言葉/仕組みが発明され
たのだと思います。
>>270 あたりにあるように、男尊女卑を客体視できる女性でないと、「M女」には
なれなかった気がしますね。
日本風味のS男、S女はこのようなM側の需要に合わせて作られたもの、と思います。
>>717,718あたりの「サドは存在する」という説には反しますが、とくに現代の
日本風味のSMでは本来のサドはほとんど存在しないかと。
本来のサドは、SMプレイといった枠組から外れた行動をとるでしょう。
あ、「日本風味」と「和風」はまた違うと思ってます。
ここで「日本風味」とは、クラブや、AVの影響を受けたような「ソフトSM」とか
ある程度、カジュアルなものを指しています。
>>867の言う「和風」のSMは、いまだ私も理解できていないので、にわかに
論じることはできません。江戸川乱歩あたりの文芸的な表現の延長のように見えますが。
>869
>本来のサドは、SMプレイといった枠組から外れた行動をとるでしょう。
そうですね。サディズムというのは、愉快を感じることができない(大笑いしていても、実感が薄い)
どこか空漠とした自我の持ち主に備わるものだと思います。その伽藍堂に何かを響かせようと
鞭打ち・跪かせる他者を求めるといった現れ方でしょうか?
マゾヒズムも空漠を爆縮させる方向性をもった実質的に同一の自我に宿ると愚考します。
日本風味SMというのは「ひとつの虚ろでありながら完一している私(わたくし)」という
ものを正視できない一人一人のか弱さ/正視することを許さない「世間」になじめない違和感、
そういった名付け難いものがはみ出していくひとつの飛び地のような機能を果たしているのではないでしょうか?
日本風味なSMは「いじめ・甘え」の相互強化といったものなのではないでしょうか?
そろそろ、SMで濡れ・感じ・幸せになれることを、一人の人間として生ききることができる
世代・カップルが成り立っていって欲しいものです。私も、そのような生を生き抜こうと思います。
>870
趣味・趣向の範囲だと偽り、自分の弱さ、甘えの隠れ蓑にするばかりか
あまつさえ屁理屈で他者にそれを認めさせようとする発言は見苦しいのでやめよう。
>>871 その「隠れ蓑」を趣味・嗜好として流通させているのが、
日本のSMということですか?それなら、同意です。
日本でSMとして流通しているものは、本来のSMとは
似て非なるキッチュな性癖・自分らしさ信仰商品ですね。
晩年の谷崎が回帰した「日本」は、結局、そういうものなのでしょう。
私には要らない感性です。
873 :
ミユ ◆MIYU/Cay/Y :2005/03/25(金) 11:45:21
『日本風味のS男、S女はこのようなM側の需要に合わせて作られたもの、』
成る程さもありなん、と思いました。
(毎度毎度例にあげられてるようで気の毒なのですが)、『ギャルリンチマニア』などがよい実例でしょう。
やられる側がMであることはいわずもがなのことですが、果たしてやる側がSであるか?
答えがNOであることは感覚的にも直感できると思います。
ここですこし前の話題に結びつければ、「実在しないのはMではなくむしろSの方ではないか?」、
こんな方向に広がるかもしれません。
加虐性向…
他者、原則異性を痛めつける、辱める、ことにより充足(快楽という言葉だと不穏当という指摘があるでこういいます)する…
他者を痛めつけば、或いは辱めれば、少なくても個の持つ闘争本能を昇華することができます。
うまくすれば、その人物より優位に立つ事ができるという実利が生まれてくるかもしれません。
これを考えれば、虐待『そのものが目的』の虐待や、それをすることで充足することが出来る『倒錯性向』の人間などが存在しうるのか?
Mと自己評価する人たちのことは色々コメントする私が、『サディスティン』と自称しないのは、こうした疑問があるからなんです。
まあー、これに限らず自分自身のことは却ってわからないものですし、あはっ!
874 :
名無し調教中。:2005/03/25(金) 12:11:39
>>873 真のサディストは居るでしょう。
SMプレイをするS役の人がサディストかどうかは別ですが。
本来生物として生き延びるための本能ですが
それを実行するための推進剤として大なり小なり快楽を伴います。
攻撃することによって得られる快楽に注力する人間はいるでしょう。
それが性的快楽にたどりつくかどうかは個体差でしょうが。
だって苦しんだりのた打ち回ったりするの見てたり、手を下したりすると楽しいんですからw
Sのモード/スタイルを取っている女を、目線だけで泣き出す寸前にする
ぐらいでないと、本来のサディストではないでしょう。
加虐で感じるというのはかなりムリなんではないでしょうか?
むしろ、相手を試すだけ試さないと不安で仕方ないといった
脆弱な人間がSのようなものになりたがる様に思います。
サディズムは攻撃性とは違うと思うんですよ。
むしろ「完全に空っぽ」な人間が唯一住み着くことが出来る
「否定と虚無」だけの空間がサディズムの姿だと思います。
マルキ・ド・サドの著作から感じるのはそういった
「自然が嫌う真空と一体になりたい」とでもいった「空」への渇望
だと思うのです。
876 :
名無し調教中。:2005/03/25(金) 23:50:08
試すも試さないも無い。
虐めてのた打ち回ってんのが楽しいのよw
精神的、肉体的に追い詰めて苦しんでる様を見るのが楽しいのよw
相手はどうあろうと関係ないね。
性的欲望に繋がるのは好みの異性なんだろうけど。
中にはこだわりがあるやつもいるだろうが、普通は容易く快楽を実現できる方を選ぶね。
社会的弱者とか、立場の弱いものだったり。老若男女関係ない。
つーか本当は人間である必要すらない。
反応がわかりやすい分人間が面白いんだけど。
878 :
876:2005/03/26(土) 00:22:49
それでしか快楽を得られないわけではないよw
そういう方法で快楽得られる自分を知ってるだけ。
すっごい好きな人がサディスト的快楽を自分を対象に求めようとしたら
それに答えるかもしれない。
それは、単なる献身であってマゾヒズムではないかも知れないけど。
思ってるほど人間は極端な偏りなど無いよ。
いるとしたら、どこか欠陥のある病人か、そう思い込みたい人だけだろ。
879 :
名無し調教中。:2005/03/26(土) 03:32:28
以前、町で偶然、ちょっと前にプレイしていただいたSMクラブの女王様に遇った。
暇だというから一時間くらいお茶して色々世間話。
別れる時、人気のない雑居ビルの脇で、「ちょっとそこに寝てみて」と言われ、
寝たら、ハイヒールで思いっきり顔を踏まれた。女王様はミニスカートだったので、パンティも丸見え。
「また遊びにおいでね」と言うと女王様は去っていった。
もの凄く興奮し、チンポコは勃起し、誰かに見られてるかもしれないという意味でもドキドキし。
女王様もサービスのつもりでやってくれたんだろうけど。
でも、心のどこかで、さっきまで一緒にお茶飲んでた女性に顔を踏まれて、ちょっと屈辱にむかつく思いもあったり。
俺が100%のマゾじゃないってことだけなんだろうけど。
ホントは喜ぶべきことなんだろうけど。
外歩いた靴で顔を踏まれて、やっぱりちょっとむかついている自分がいる。
880 :
名無し調教中。:2005/03/26(土) 08:53:12
>サディズムは攻撃性とは違うと思うんですよ。
>むしろ「完全に空っぽ」な人間が唯一住み着くことが出来る
>「否定と虚無」だけの空間がサディズムの姿だと思います。
興味深く拝見いたしました。
私がSの男性に対峙したときに感じるのは、
言葉で簡単に表現できないような寂しさです。
寂しさというよりは、孤独。
孤独というよりは、虚無。
「あなたのために命までも捧げます」
というような、恋人であったら最大限の愛情表現であろうことを
絶望的な気持ちで受け取っているような人達。
私はそう感じます。
SもMもやります。男です。
・・・と言っても、S側をすることが多いですが、相手からは、たまにですが、
『虚しさ』であったり、『寂しさ』を感じる。と言われることがあります。
もしかしたら、そういうものもあるのかも?と思い、思わず書き込みました。
ただ、Sとしてでも、Mとしてでも、苛めたい、苛められたい。という気持ちもあるのですが、
それと同時に、SMを通して、相手の気持ちを解放してあげたい。言い換えると、
相手の心を自分に開かせたい。という欲求が無意識の内に働いているのかな?なんて
考えさせられました。
同じSMの世界でも876さんのような人もいるし、僕みたいなのはSじゃない。なんて方も
いると思います。SMの世界はホント、奥が深くて幅が広いですねー。
882 :
ミユ ◆MIYU/Cay/Y :2005/03/26(土) 15:57:58
それは、「SMプレー」のことをおっしゃってるからでしょう。
サディズムそのものについて書かれている記載とは大きなギャップが生じて当然だと思います。
そう、サディズムそのものの記載。
幾つかの専門書を読み返してみると、
>>876記載とほぼ同内容なんですねえ。
そしてそれが、(マゾヒストも含めて)人間誰しもが持っているものであることも再確認。
いよいよ、サディズムは存在するがサディストなるものは存在しないんじゃないか?
(誤解を招く言いかたであることは承知) という気がしてきました。
と書いたところで、何が言いたいか自分でも分からなくなってきたので、「プレー」の話に戻します。
といっても
>>786の再提示なんですが。
>♀はSという仮面を♂はMという仮面をつけて、role playを演じるのがSMプレーだということなのでしょうか?
>となると、ひょっとしてこれ、「ペルソナ」??
>(心理学専攻のM女子大生が見てらしたら恥ずかしい、、、)
>
>そして、S(M)という仮面をつけている自分が本当の自分なのか?
>いや、元々S(M)とである自分が「ノーマル」という仮面を被って日常生活を送っているだけではないのか?
>と考えるようになる、こんどは荘子胡蝶編。。。
仮面という意味のギリシャ語「ペルソナ」が、人格という意味の英語「パーソナル」の語源になっていることを付け加えます。
さらに付け加えるならば、フランス語では人物(人格)と仮面は同じ言葉ですね。
884 :
つばき:2005/03/26(土) 17:26:44
あたしは首を絞められるのが大好きで締められるとすぐにイッてしまいそうになります。
イラマチオもさせてもらっていると濡れてきたりしてしまいます。スパンキングも濡れます。
こんなあたしはMなのでしょうか?どのスレッドで質問していいのかわからず、ここで質問させていただきます。
スレ違いならばごめんなさい…(:_;)
>>884 そうやって感じることをもっと強烈に求めていくか、
あるいは、そうでなければ気がすまないようになっていくのであれば、
マゾなのでしょう。体も心も、お大事にされますように
>>880 そうのような相手にどのような感情をもたれますか?
目の前で生きている虚無に対峙してなおもありうる感情とは?
887 :
つばき:2005/03/26(土) 18:39:00
>>885サン
レス有難うございます。
イラマチオもスパンキングも首絞めもなかったら物足りなく感じてしまうようになってしまいました…。
彼氏サンは多分Sかなと…スパンキングで勃起してくる方ですしイラマチオ大好きです。
でもそれをSMとゆうのかと考えたら自分では答えが出なく、悩んでる次第でございます(;д;)
くだらなくてすいません…
888 :
868:2005/03/26(土) 22:40:10
>>884, 886
べつにあなたが自分をMと思いたければ、そう思えばよいだけです。
あなた自身の嗜好/指向の問題なので、他人に聞く問題ではありません。
「M」も「S」も全て自称し、その結果現れる世界でplaing roleするもの
でしょうから。
>>876 質問です。よくある鞭や縛りといったステレオタイプの「SMプレイ」で
あなたのサディズムは満たすことはできますか?
そういうSMプレイは、Mがそれを求めることを前提としているので、
真のサディストはそんなものでは満足できっこないと思うのですが。
私が
>>868で書いた
>本来のサドは、SMプレイといった枠組から外れた行動をとるでしょう。
ということに関連しての質問です。
そういう他人の価値観の否定にしか自らの生を肯定することができない
のが、「否定と虚無」すなわちニヒリズムに受けとられるんでしょうか。
本人にしてみれば、それが他者との関り方そのものなので、実際にそう
とは思えませんが。ニヒリズムというよりは、脱構築する態度がそこに
あるのだと思います。
889 :
名無し調教中。:2005/03/26(土) 23:12:20
なんか、みんな大変そうですね。
890 :
880:2005/03/27(日) 01:13:05
>>886 どのような気持ち・・・。
虚無の前に対峙するとき私は、なんとも言えない安寧を感じます。
あと、尽きぬ興味もありますが・・・。
891 :
876:2005/03/27(日) 03:27:12
>>882 >サディズムは存在するがサディストなるものは存在しないんじゃないか?
興味深いです。厳密に言えばそうなのかも知れません。
>>888 >質問です。よくある鞭や縛りといったステレオタイプの「SMプレイ」で
>あなたのサディズムは満たすことはできますか?
相手がSMプレイを望んでいるのなら、正直あまり満たされる事はないです。
縛りやSMプレイは違う意味で楽しいと思いますよ。
自分の妄想を脚本にした芝居や演劇をしてる俳優の気分じゃないですかね。
先にも言ったとおり、サディズムだけが私の快楽を得る手段ではないです。
食事や飲酒、SEX、スポーツや格闘技観戦、読書、仕事など
代替でもそれなりに満足します。
それを突き詰めようとか、それに固執する気は毛頭ないです。
どうしてもその快楽が欲しくなった時のみ、周囲に迷惑を掛けさせてもらいますw
機会があればマゾヒズム的快楽を得る、具体的な方法を知る事もあるかもしれません。
892 :
名無し調教中。:2005/03/27(日) 03:51:04
「1万1千本の鞭」、読んだ人いますか?
893 :
名無し調教中。:2005/03/27(日) 10:32:23
>>892 勿論読んでますよ。
名作ですね。
我が愛読書の一つです。
著者や出版社をぜひとも教えてください。
895 :
本格緊縛SM:2005/03/27(日) 12:19:42
896 :
名無し調教中。:2005/03/27(日) 15:06:57
「一万一千本の鞭」で検索した。
「名作を要約してみる。」というスレッドがあった。
73 名前: 無名草子さん 投稿日: 03/05/13 22:40
一万一千本の鞭
射精のためには何でもした人の一生
まとめるとSMってそういうことかもねw
>>879 >…寝たら、ハイヒールで思いっきり顔を踏まれた
単にいつもやってる営業行為かもよ?
>>890 安寧ですか。虚無と安寧が並んでいると…
安寧・尽きぬ興味から、恐怖というか畏怖というかそのような感情が
段々と湧いてきませんか?引き返し不能な一線を超えてしまったのでは?というような。
「深すぎる淵を覗いてはいけない。引き摺りこまれるから」
という言葉が脳裏をよぎります。
900 :
890:2005/03/28(月) 18:34:15
>>899 恐怖と畏怖はありますよ。
むしろ、それがあるからその人から離れられない・・・というのが正しいかも。
マゾなのでw
恐怖と畏怖を感じるから、自らを完全に放棄して従える。
普通の人間に対しては、恐れは感じません。
でも時々。
悪魔に魅入られてとんでもないところに行こうとしているんじゃないだろうか・・・。
そんなふうにも考えます。
とっくに引き摺りこまれているのかもしれません。
901 :
名無し調教中。:2005/03/28(月) 19:23:22
>>894さん
「一万一千本の鞭」 ギョーム・アポリネール-著、須賀慣-訳 富士見ロマン文庫
内容は、896さんの説明で問題ないです。
時は20世紀はじめ、ルーマニア、パリ、それから極東の果てと色々な所が舞台となり、
男色、レズ、乱交、強姦、輪姦、SM、日本人‥‥なんでも出てきます。
地理と歴史とエロの勉強になります。
902 :
名無し調教中。:2005/03/29(火) 15:32:20
転載
592 名前:名無し調教中。 投稿日:2005/03/29(火) 09:04:15
おまいらに朗報ですよ。↓
ロシアの科学者が「アルコール依存症」や「麻薬中毒」の人達に対する新しい治療(リハビリ)方法として、
患者をムチで打つことが効果的であるとのレポートを発表して話題となっている。
この科学者によると、人が酒や麻薬に溺れてしまったり、最悪の場合には死を考えてしまうのは人生に
何の面白さも感じなくなって気が落ち込んでいるからであり、それは脳内ホルモンの一つである
「エンドルフィン」の生産量が著しく減少してしまったことに原因があるとしている。
エンドルフィンは別名「幸せのホルモン」と呼ばれており、肉体的痛みを感じると多く生産される
傾向があるという。
このため落ち込んでいる人達(中毒患者)を一つの方法として「ムチで打つ」とエンドルフィンが増加し、
その結果ある意味「幸せ」を感じるようになり、病状が改善されるという。
科学者は麻薬中毒患者から何名かのボランティアを募り、全30回の「ムチ打ちセラピーコース」を
実施したとのこと。
このコースでは1回のセラピーで患者は尻を60回打たれることになっており、コース終了までに
合計1800回ムチで打たれることになる。結果は良好で、この治療方法が非常に効果的であったことが
報告されている。
今回のレポート作成に携わり、痛みを感じる事の素晴らしさを知る科学者の一人は語る。
「私も落ち込んだりしたときには自分自身を痛めつけたりしますが、今回私達が発表したムチ・セラピーは
異性にやってもらうと更に効果的です。ですから男性は女性に打ってもらうと、その効果には目を見張る
ものがあります」
「(尻を打たれ続けると)だんだん周りが明るく感じるようになり、落ち込んだ心の傷も癒されていくのです。
もちろん、尻の痛みが無くなるのには多少時間はかかりますがね」 (以下略) ソース↓
http://azoz.org/archives/200503281555.php
903 :
1:2005/03/30(水) 23:12:16
ご無沙汰しております。今年の1月にこのスレを立ち上げてはや2ヶ月。
こんなに早く表示の限界レベルに到達するとは「予測の範囲外」でした ^^
まだちょっと早いかもしれませんが、ギリギリでお引っ越しするのも煩わし
いので、早めに第2部のスレッドを立てておこうかと思います。
一応、4月1日の夜9時くらいに、同じタイトルで「Part 2」と名づけて立てる
予定でおりますので、あらかじめお知らせいたします。どういうふうに移行し
ていくのかよくわかりませんが、時々アナウンスしますので、皆様スムースに
移行をお願いします。
ちなみに、
>>902の朗報には、思わず笑ってしまいましたが、SMって、
癒しの部分が少なからずあるな〜とは以前から思っていました。プレイであろうが
なかろうが、自覚したり、妄想したり、恥ずかしい思いをしたりと、精神活動
の一部がアクティブになることは間違いないところだと思います。
「治療」という発想はこれまであまりなかったけど、精神医学の分野で
有効なオプションとしてSMないし、SMプレイが活用されるのは、いいことだと
思います。正直な話、時々、ほとんどビョーキなのかも、と思うくらいマゾヒスティック
な気分になっちゃうこともあるんです。ばかみたいに。(実際病気なのかもしれないけど)
いずれにしろ、偏見や差別的な風潮がいくらかでも軽減されてくれることを願います。
皆様今後ともよろしくお願いします。
904 :
1:2005/03/31(木) 00:10:17
>>862 飽きっぽいとか言われちゃいましたが、そんなこともないんですけど...
本の題名をスレタイにしてるのに、これまでほとんどこの書物の話題がなかった
のは、正直言ってちょっと悲しかったんですけど、こうして取り上げて下さる方
が登場されるとうれしくなっちゃって、思わずレスっちゃいました。
確かに、沼正三の小説みたく、読んで楽しい本ではないかもしれませねんが、
フーコーほど難しくもないと思います。こちらにお集りの方には、ぜひ一読を
おすすめしたい1冊ですので、ここであらためてプッシュさせて頂きますね。
905 :
↑↑↑:2005/03/31(木) 14:41:14
tp://shamech.kir.jp/ch/test/read.php/shame/1112234277/4
906 :
ベル ◆1WyesbL.dk :皇紀2665/04/01(金) 17:41:02
↑ 削除されてて読めないよ
でも、昨日ちらっとみた
まあホント、ここの立て主殿は…
4月バカねたとでも、言うつもりなのかねえ
907 :
名無し調教中。:2005/04/05(火) 09:51:12
一万一千本の鞭は40歳ぐらいの時の渋澤龍彦が今迄読んだ本のベスト10で選んだ本だね。
渋澤が選んでるってことで俺も読んだけど、なかなか面白かったな。
マゾでなくても楽しめると思う。マゾならますます楽しめるけど。
俺はマゾなので凄く良かったです。
908 :
ミユ ◆MIYU/Cay/Y :2005/04/05(火) 11:45:15
ねぇ、このミユっておんな、何様??
口の聞き方が…。
あー、だからあちこちで言われてる訳か。
どうでもいいじゃん。
少なくともここでのミユの発言に大きな破綻はないと思う。
むしろ
>>1が放棄したスレを誘導したのはミユだからな。
911 :
名無し調教中。:2005/04/12(火) 00:48:29
まだ生きてんのかな?
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
ミユハ死ンダ
死 ネ バ イ イ ノ 二
いや、コテを次々に変えたりでしぶとく生きてる