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「名無しわざとか?」とかイヤミを言われた:
大正末期、東横線敷設の柿の木坂切り通し工事
掘り出した土砂を運搬する蒸気機関車が現都立大学駅方面へ向かう。
この機関車を走らせる前の初期工事は殆ど在日朝鮮人による手掘り作業。
高さ10m以上の丘の土を取り除く労働は耐え切れないほど苛酷。
日本人の監督が朝鮮人労働者をスコップで容赦なく殴る残虐行為がよく ←これが東急クオリティー
見られたという。当時の犠牲者の遺体は母国に帰ることなく、近くの東 まさに勘違いセレブの巣窟
光寺境内に埋められていると地元の古老が私にその事実を話してくれた。
(小杉良裕さん提供。本誌54号「都立大学特集」より)
世田谷のBは
宇奈根 奥沢 鎌田 上祖師谷 烏山 喜多見 砧 深沢 三宿
それと多摩川沿いの低地
環八の外側の祖師谷から北に向かって甲州街道の給田までは
B落地帯なんだよね。昔環八のとこには川が流れていて、階級の低い貧しい
人とか犯罪者が川の反対に追いやられるように外側の長家に住んでいた。
昔その川の船着場があったことが千歳船橋の地名の由来。
B民をはじめ、えた・非人・犯罪者などを町民より隔離するために、
川向こうの谷に長屋を造った。
彼等を阻止する谷→阻止谷→ソシガヤ→祖師谷が地名の由来。
祖師谷にはその子孫が多いことは言うまでも無い。
烏山では関東大震災のときにの「朝鮮人が井戸に毒を入れた」デマ騒動で
9人の朝鮮人労働者が無理やりトラックから降ろされ、暴行を受け、惨殺されたそうです。
後にその方々の鎮魂のために9本の椎の木が白山神社(現烏山神社)に植えられたそうです。
現在でも9本のうち、3本は残っています。
烏山神社の前を通るたびに、同じ日本人が犯した過ちの謝罪と、差別のない社会を作ろうと
いう決意をこめて心の中で手をあわせています。