禁スロマラソン41km

このエントリーをはてなブックマークに追加
242( ´∀`)ノ7777さん
その他
本人は気さくな性格で、コンサートで「友よ」の歌い出しを「ホモよー♪」と自ら歌うほどである。
ある日、道を歩いていたら前方から「友よ」を熱唱して練り歩く学生運動のグループに遭遇し恐怖する。
岡林と同棲生活を送った吉田日出子は、表現されているものと実生活に著しい乖離があり、偽善者と酷評。
その後、岡林信康とは訣別している。
また、日雇労働者の悲哀を歌った『山谷ブルース』は、岡林が山谷に長期滞在して作ったといわれるが、
実際には一週間程度しか滞在していなかった。
サントリー「京番茶」のCMでは、出勤拒否を娘に諭される交番のおまわりさんを演じ、好評を得た。
部落差別をテーマにした「手紙」は、放送禁止歌の代表例といわれる
(実は放送禁止になっている歌というものは存在しない。抗議などを恐れての自主規制・自粛である)。
現在に続くエンヤトット(御歌囃子)の活動は、英国を訪れた際に会ったロバート・フリップに
「欧米の真似ではなく日本独自のロックを見せろ」と言われた事をきっかけにしている。
ディスコグラフィ
シングル
オリジナル・アルバム
わたしを断罪せよ(1969年)
見るまえに跳べ(1970年)
俺らいちぬけた(1971年)
金色のライオン(1973年)
誰ぞこの子に愛の手を(1975年)
うつし絵(1975年)
ラブソングス(1977年)
セレナーデ(1978年)
街はステキなカーニバル(1979年)