禁スロマラソン41km

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241( ´∀`)ノ7777さん
二年間の農村生活の中で演歌に開眼。美空ひばりに「月の夜汽車」などの作品を提供。
1975年には、岡林本人も演歌路線のアルバム『うつし絵』をコロムビアより発表する。
1978年になるとアルバム『セレナーデ』を皮切りに、パロディ色の強い、ニューミュージック路線を展開。
古巣のビクターに再び移籍し、更に『街はステキなカーニバル』『ストーム』『グラフィティ』と路線を深めていく。
「グッバイマイダーリン」「君にささげるラブ・ソング」「山辺に向いて」などがこの時代の代表曲。
1980年、TVドラマ『服部半蔵・影の軍団』のエンディング・テーマである「Gの祈り」がそこそこのヒットとなるが、
ファンの反応(特に古くからの)は複雑な物だった。
ちなみに、岡林自身によると、かなりの「やっつけ仕事」だったらしく(タイトルも思いつかなかったので、
曲のキーがたまたま「G」だったから適当に付けたとのこと)、ヒットして驚いたと言う。
1980年代中頃より、メジャーレーベルとの契約が切れたことなどもあり、往年のフォークスタイルである
ギターとハーモニカによる弾き語りツアー「ベアナックルレビュー」を開始し、全国を巡る。
また、この頃より、封印を解き、初期の曲を再び歌うようになる
(ただし、『友よ』だけは、「あれはすでに自分の歌ではない」として、かたくなに歌うことはなかった)
さらに、同時期、日本民謡的なリズムに乗せた、独自のロック「エンヤトット」を思案。
平野融らとともに模索を続ける中、韓国の打楽器集団サムルノリと出会い、開眼する。
1987年、自主制作テープ『エンヤトットでDancing』を発表。
その後、東芝や日本クラウンなどでアルバムを発表。
「古いファンからはあまり喜ばれなかった」と本人が語る「エンヤトット路線」ではあったが、
2007年10月20日に36年ぶりの日比谷野音ライブ「狂い咲き2007」を行うまでに至る。
また、前述の日比谷野音ライブに前後した時期から、10年以上「封印状態」にあった初期の音源のまとまったCD化。
岡林を敬愛するサンボマスターとの競演や、ロック時代の曲を数十年ぶりに再演するミニライブの開催。
数々のテレビ出演など。より積極的な活動を見せ始めている。
現在は「エンヤトット」を、自らの苗字とかけた「御歌囃子(おかばやし)」と新たに名づけ、
全国でライブ活動を展開中。