禁スロマラソン41km

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240( ´∀`)ノ7777さん
岡林信康

岡林 信康(おかばやし のぶやす、1946年7月22日 - )は、滋賀県近江八幡市生まれのフォーク歌手。
フォークの神様の愛称で知られる。
実家は教会(メンタム製造メーカー近江兄弟社の創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが創設した)。
現在は京都府亀岡市に住んでいる。
近江兄弟社中学、滋賀県立八日市高等学校を経て、1966年に同志社大学神学部入学。
高石ともやの影響でギターを始める。
自らのキリスト教への信仰に疑問を感じた事が、フォークに目覚めたきっかけだったとも言われている。
1968年、山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコードデビュー。
翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」「くそくらえ節」「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表。
その内容から、多くの曲が放送禁止となる。
一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、労音との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ
(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより、
翌年5月に一時蒸発。
1970年になると、ボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だったはっぴいえんどをバックに展開し始める。
「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」「自由への長い旅」などの作品を発表するが、
1971年の「自作自演コンサート 狂い咲き」及び、「第三回中津川フォークジャンボリー」を最後に、表舞台から再び姿を消す。
1973年にソニーへ移籍し、活動を再開。
ロック路線のアルバム『金色のライオン』『誰ぞこの子に愛の手を』などを発表。
「あの娘と遠くまで」「26ばんめの秋」などの曲は、一部で高い評価を得るものの、相変わらず「フォークの神様」を期待するファンが多く、
結局、その意識は京都府丹波地方の農村生活の中で沈黙することへ向かった。
また、この頃より、弾き語りスタイルで演奏することは少なくなり、初期の曲も封印するようになる。