禁スロマラソン41km

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228( ´∀`)ノ7777さん
実際、初期の「スウェディッシュ・エロティカ」シリーズの1973年のパンフレットには、
ホームズの短編が5作リストされているが、顔の特徴から明らかに同一人物と判るものの、
「フレッド」、「デイブ」、「ルディ」、「ビッグ・ディック」、「スタン」とバラバラな名前を付けられている。
ホームズはポルノ歴の初期には、「スマット(ポルノ)のスルターン」と呼ばれていた。
『ディープ・スロート』(1972年)『グリーンドア』(1972年)『ミス・ジョーンズの背徳』(1973年) の成功により、
合法性に関してはまだ激しく争われていたものの、ポルノはシック(おしゃれ)なものとなった。
ホームズはこの頃ポン引きと売春斡旋で逮捕されたが、ロサンゼルス市警察の
情報提供者になることによって刑期を免れた[8]。
1973年、ホームズの名声はハードボイルドな私立探偵("hard boiled dick" には
「勃起したディック(ペニス)」と「ハードボイルドな探偵」の二重の意味が込められている)
ジョニー・ワッドを主役とするポルノ・シリーズとともに高まり始めた。
9作作られたシリーズは大ヒットし、ホームズが街を歩けば「ジョニー・ワッド」と声をかけられるほど、
このキャラクターは彼の代名詞となった。
1978年までには、ホームズはポルノ男優として1日3,000ドルも稼いでいたと言われる。
しかし、この頃から勃起の維持能力に影響を及ぼし始めたほどの、ホームズのコカイン乱用が問題になっていった。
その「すごさ」に関する議論
演技力の欠如にもかかわらず彼を有名にしたのは、彼の例外的に大きなペニスであった。
ホームズの最初の妻シャロンは、彼が最初に自分自身を測った時、10インチ(25.4cm)だと
言っていたことを思い出した。
しかし彼の映画歴の初期において、完全に勃起した時には彼のペニスサイズは12.5から16インチ
(約32cmから41cm)に及ぶと、広く喧伝された。
ジョン・ホームズはかつてビデオの中で「サイズは15インチ(約38cm)だ」と主張していた。