禁スロマラソン41km

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187( ´∀`)ノ7777さん
伊福部はその男と気が合い、その後もお互いの名前も分からないままたびたび会っては酒を飲んでいた。
この男こそ特技監督の円谷英二で、当時、円谷は公職追放中の身だったのである。
のちに映画『ゴジラ』の製作発表の現場でバッタリ再会し、2人とも大変驚き、またお互いに初めて相手の名前を知ったという。
『座頭市』シリーズなどで仕事を共にした勝新太郎とは、「勝っちゃん」「先生」と呼び合う仲で、後に勝が舞台で座頭市を行う際、
オープニングは伊福部のボレロ(座頭市のテーマ曲で伊福部はボレロのリズムを一貫して使用している)でなければならない、
と言うことで、伊福部に音楽を依頼したと言う。
伊福部は、映画音楽では録音テストの際、必ず自ら指揮棒を振った。
伊福部と映画作品でのコンビの長かった指揮者の森田吾一によると、
その際、普通の倍の長さの指揮棒を使うのが常だったそうである。
また、このテストの際の指揮のテンポが次第に遅くなって、
スクリーンに映写した画面といつも合わなくなるのだが、
それは伊福部が音楽の響きをチェックしていたためだという。
これも森田によると、伊福部のスコアは作曲時間の短さに関わらず、非常に細かくしっかりと書き込まれており、
曲の途中に複雑な変拍子が入るのも特徴で、この変拍子を振るのはコツがいるものだったそうである。
『フランケンシュタイン対地底怪獣』では、伊福部はフランケンシュタインのテーマ曲のために「バス・フルート(アルトフルート)」という
超低音の楽器を映画界で初使用している。
この楽器は当時日本には個人所有による1本しかなかった非常に珍しいもので、音量の低さからオーケストラ演奏で
実用価値のない楽器とされているものだが、伊福部はピックアップ・マイクを用いることで効果的な旋律を実現している。
誕生日とラヴェルの逸話
伊福部昭の誕生日は5月31日であるが、戸籍上は3月5日となっている。
これは、父親が、少しでも早く学校に入れたいということで、3月5日の早生まれとして届けたからと伝えられている。
それとは別に3月7日が誕生日という説も広まっているが、これは冗談が定着してしまったものである。
アメリカ・ボストンで『日本狂想曲』の初演をする時、主催者に生年月日を提出することになった。