禁スロマラソン41km

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186( ´∀`)ノ7777さん
自身は神道を信仰していたが、神道やそれ以外も含め宗教映画も多く手がけた(『日本誕生』、『釈迦』、『人間革命』等)。
『続・人間革命』は降板させられたが、これは天理教の映画『扉はひらかれた』に参加したためだといわれている。
自身は「八百万の神ということで誰をやってもいいんです」と語っている。
タバコ(銘柄はダンヒル・インターナショナル)をこよなく愛するヘビースモーカーで、インタビューの写真・映像では、
大体片手にタバコを持っている。
また若いころはかなりの酒豪だったが、それでも北海道の森林官のレベルで見ると強いとは言えないそうである。
チョコレートなどの甘いものが好物で、仕事の際には机の引き出しに入れ、よく食べていたという。
蝶ネクタイを常用し、非常にダンディであったと関係者は口を揃える。
時計は懐中時計を愛用していて、これは大学の講義でこの懐中時計を手に取ることで、
学生に授業終了が近いことを示す合図に使えるからだそうである。
「怪獣に被せる音楽は抑え気味にしたほうがよい場合があるんですが、女優さんなんかで
演技力がないと、それをカバーするために音楽の量を上げないといけないから大変です」
と語っていた。
1980年代後半に『題名のない音楽会』に出演した際も、司会を務める門下生の黛敏郎に、
「先生は大変な毒舌家でございまして・・・」と紹介され、この番組の中でも、「演技者に被せる劇伴音楽のボルテージというものは、
その俳優さんの演技力に反比例するもののようです」と、早速毒舌を披露していた。
エピソード
伊福部の映画音楽デビュー作『銀嶺の果て』は、監督の谷口千吉にとっても、また主演の三船敏郎にとってもデビュー作であった。
その『銀嶺の果て』の打ち上げの席で、伊福部は小杉義男に、「あんた、監督さんにあんなふうに口答えするなんてどういうつもりなんだ」と、
論争したことを咎められた。
しかし小杉が伊福部から離れたあと、志村喬がやってきて、「音楽の入れ方で監督と論争する人は初めてだ。
これからも大いに頑張りなさい」と励まされた。
映画の仕事で行った京都で月形龍之介と酒を飲んでいると、途中から入ってきた男がいた。
月形とは旧知の仲らしく、酒をおごってもらい、名前も名乗らぬままおごり酒に酔いつつ俳優や映画会社への愚痴をこぼした。