禁スロマラソン41km

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167( ´∀`)ノ7777さん
伊福部昭

伊福部 昭(いふくべ あきら、1914年(大正3年)5月31日 - 2006年(平成18年)2月8日)は、
日本を代表する作曲家。ほぼ独学で作曲家となった。
日本の音楽らしさを追求した民族主義的な力強さが特徴の数多くのオーケストラ曲のほか、
『ゴジラ』を初めとする映画音楽の作曲家として、また音楽教育者として知られる。
1914年(大正3年)、北海道釧路町(現釧路市)幣舞警察官僚の伊福部利三、キワの三男としてうまれる。
1927年(昭和2年)、13歳。札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)入学。
1932年(昭和7年)、18歳。北海道帝国大学(現北海道大学)農学部林学実科に入学。
幼少期、父親が村長だったためアイヌの集落へ出入りしていたのに付いて行き、そこでアイヌの舞踊、
アイヌ音楽、またムックリやトンコリなどの民族楽器に触れ、大和民族とは異なる文化と音楽に興味を持つ。
また、当時はSPだったレコードで現代音楽に多く触れ、ヴァイオリンを習得し、大学時代は
学生オーケストラのコンサートマスターを務めた。
札幌第二中学校の頃、友人の三浦淳史(後に音楽評論家となる)に「音楽をやるなら作曲をやらねば意味がない」
と「そそのかされて(本人談)」、海外から入手した楽譜とレコードをもとに独学で作曲の勉強を始めた。
この頃、早坂文雄とも交友があった。
ストラヴィンスキーの『春の祭典』に触発され、オーケストラ作品の作曲法も学び、歌曲『平安朝の秋に寄せる三つの歌』、
ギター曲『JIN』『ノクチュルヌ』(楽譜は共に行方不明)を作曲。
1933年(昭和8年)、19歳。
三浦が文通していたスペイン在住の米国人ピアニスト、ジョージ・コープランドのために『ピアノ組曲』を書き上げる。
これは、コープランドの「地球の反対側にいながら私の音楽を聴くのだから、作曲もやるのだろう。
曲を送れ」という旨の手紙に対して、三浦が「良い作曲家がいるので曲を送る」と返事を書いたことを受けて作曲したものであるが、
後年、管弦楽版、箏曲版、弦楽オーケストラ版などを編曲するなど、ライフワーク的な作品となる。