12 :
( ´∀`)ノ7777さん:
凶器(竹刀、パイプ椅子等)を使用したあらゆる反則攻撃
コブラクロー
クロスチョップ フィニッシュで多用
ダブル・リストロック(逆腕固め) ヒールスタイルになってからはまったく見せていないが、前座時代の得意技。
獲得タイトル
NWA世界ジュニアヘビー級
IWA世界ヘビー級
インターナショナル・タッグ王座
北米タッグ王座
WOW世界ヘビー級
WOW世界ヘビー級選手権は、当時の上田の地元だったペンサコーラにあったローカル団体のベルトで、
当時新日本の常連外国人だったハックソー・ヒギンズを破って獲得したものである
(ベルト獲得のニュースは東京スポーツでも大きく報じられた)。
後日、上田はそのWOWのベルトを携えて日本に現れ「外人のことで困っているなら我がWOWが相談に乗る」
というメッセージを残した。
上田の真意は「WOWのタイトル戦を日本で行いたい」、そして「WOWを団体ごと日本に呼んで、大会を行いたい」という点にあった。
上田は週刊プロレスのインタビューに応じ「このベルトは世界王座だから、日本で防衛戦を行っても構わない」としたうえで、
「馬場や猪木が悩み苦しんでいるのは、外人のギャラが高過ぎるからだよ。WOWを呼ぶとしたら、
外人にアメリカと同等のギャラで、日本でも試合をさせる」と語っていた。
また、当時第2次UWFが大都市中心の興行形態を導入して成功し、新日本プロレスもこれに倣った事を「地方軽視」と非難したうえで、
「ウチ(WOW)は大都市ではやらない。地方でやるよ」とも語っていた。
結局この時語った構想は実現こそしなかったが、これは今でも「WOW構想」と呼ばれ、
後年日本に数多く生まれたインディペンデント(独立団体)の形態に先駆けたものとして、語り草となっている。