【有意義な日を】禁スロマラソン40km【過ごそうよ】

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461( ´∀`)ノ7777さん
また、前田の蹴りを平然と受けて見せ強靱な肉体をアピールした(ちなみに当時の上田の入場テーマは、
プロレスリング・ノアの三沢光晴が現在使っている「スパルタンX」である。
また、前述の全日本プロレスにおけるシンとの仲間割れを起こした試合は、
全日正規軍+プリンス・トンガvsシン軍団の4対4で行なわれた日本初のイリミネーション・マッチであり、
両団体の歴史的試合にまたがって参加したのは上田だけである。)。
その後はNOW、IWAジャパンといったインディー団体を転戦した。
1996年3月に東北自動車道で、西濃運輸との不慮の交通事故に遭遇。
フロントガラスを突き破り、車外に投げ出されアスファルトに叩きつけられ、
普通の人なら即死だっただろうと言われる大事故だったが、レスラーとして体を鍛えていた事に加え、
叩きつけられる直前、無意識に受身をとっていた事で一命を取り留めた。
本人は車が衝突した瞬間以降の事は覚えていないらしい。
その事故により脊椎損傷の大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされた。
1998年4月16日に上田がリハビリ中の熊本県で「力道山OB会」主催の引退記念大会が開かれ、
車椅子姿でファンの前に現れ喜ばせた。
その後、妻の故郷の大分県臼杵市へ移り、「リサイクルショップ上田屋」を経営。
地元でプロレス興行が行われると夫婦で会場に激励に行ったり障害児施設を訪問するなど、
妻と二人三脚の生活を送っている。
2008年には近年のリハビリ生活がドキュメンタリー番組「生きる×2」で放映された。
人柄
常に竹刀を片手にし、レスラー人生を悪役で貫いたが、素顔は以下のエピソードにも見られるように非常に真面目で、
周囲の人間を大事にする人物であった。
また、高いプロ意識の持ち主であったことが言動の随所に表れている。