【有意義な日を】禁スロマラソン40km【過ごそうよ】

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460( ´∀`)ノ7777さん
その後、大木らと共に全日本プロレスへ参戦したが、前座扱いだった為(異説あり。後述の「人柄」の項目も参照されたい)
フリーとなり渡米、南部地区を中心に転戦した。
1976年、アメリカから馬場、猪木、ラッシャー木村への挑戦を表明、木村が応じたため、同年5月に国際プロレスに参戦した。
この時から前髪を金色に染め竹刀を振り回す「まだら狼」へと変身(後に髪全部を染め、「金髪の狼」「金狼」と呼ばれるようになる)、
ヒールとして凶悪ファイトに徹するようになった。
木村と金網デスマッチなどで激闘を繰り広げIWA世界ヘビー級王座を獲得。
日本マットでは初の本格日本人ヒールとして注目を集めた。
1977年1月に新日本プロレスへ参戦、タイガー・ジェット・シンと凶悪タッグを結成して北米タッグ王座を獲得し、
一躍トップヒールとなった。
その後、シンとは仲間割れもあったが、長く悪の名コンビとして日本マットを血で染め続けることになる。
1978年2月8日には因縁深い猪木と釘板デスマッチを実現(11分2秒 上田のTKO負け)。
シンと仲間割れした決着戦では、猪木がレフェリーを務めるも、上田・シンとも猪木を急襲、
試合は無効試合になるが、対猪木の共闘戦線としてシンと和解する。
同年暮れにはヒロ・マツダ、マサ斎藤らフリーの日本人レスラー達と「狼軍団」を結成、
新日勢と抗争を展開した。斉藤とのコンビでは国際プロレスにも参戦した。
その後も主にシンとのコンビで新日に参加したが、1979年以降はやや戦績を落とし、
坂口との北米ヘビー級王座をめぐる抗争がメインとなった。
1981年に再び全日本プロレスへ、先に移籍したタイガー・ジェット・シンを追う様に参戦した。
ここでもインタータッグ王座を獲得するなど、ヒールとして大いに暴れた。
しかし、またしてもシンと仲間割れをし全日本プロレスを去る。
そして新日本プロレスの試合会場に突如スーツ姿で現れ、猪木に花束を渡すなどをして新日に再参戦。
一時期はマシン軍団やヒロ斉藤との共闘をしていたが仲間割れし、カルガリー・ハリケーンズの離脱後に新日正規軍入り、
UWF軍との5対5のイリミネーション・マッチでは、前田日明と心中して場外に飛び降り引き分けるという活躍をした。