【有意義な日を】禁スロマラソン40km【過ごそうよ】

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434( ´∀`)ノ7777さん
しかも劇場では、この浄化槽の蓋のギャグが大受けだった。
さっそく藤本プロデューサーは二作目の制作を指示したが、「この次もマンホールの蓋で肉を焼くギャグを
考えてくれ」と注文を付け田波をあきれさせた。こうして若大将シリーズははじまった。
スケールアップ
第2作の『銀座の若大将』もヒットしたが、一応、その次の『日本一の若大将』で3部作のトリという内容だったが、
人気は衰えず初の海外ロケの『ハワイの若大将』まで作られた。
ただこの作品の後、加山は黒澤明監督の『赤ひげ』出演のため1年間拘束されることが決まっていた。
スタッフは、1年のブランクで折角の若大将シリーズの人気も冷め、これで打ち止めも覚悟していた。
だが、反対に観客の飢餓感の方が勝り、国内ロケの『海の若大将』は前作を上回る興業成績を収めた。
またこの作品で歌われた弾厚作作曲、岩谷時子作詞、森岡賢一郎編曲の「恋は紅いバラ」
「君が好きだから」もレコードヒットし、ここに至って若大将シリーズは確固たる地位を築いたのだった。
続く『エレキの若大将』は加山の音楽的な才能と当時流行していたエレキブームがマッチした出色の音楽映画作品となった。
また加山の代表作である「君といつまでも」も挿入歌として歌われたが、このレコードが300万枚を
売り上げるミリオンセラーとなり、加山雄三ブームといえる現象も生みだした。
このブームの中、二度目の海外ロケ作品である『アルプスの若大将』は、加山の得意なスキーを
前面に取り上げ、シリーズでも『大学の若大将』に次ぐ観客動員と1966年の東宝映画興行収入第1位を果たす大ヒットとなった。
翌年の1967年には正月公開の『レッツゴー!若大将』、東宝35周年記念作品『南太平洋の若大将』、
『ゴー!ゴー!若大将』と3本が公開されることになった。
押しもおされぬ東宝のドル箱シリーズの面目躍如というところだった。
社会人編
加山の実年齢が30歳を越えるとさすがに大学生には無理があるようになった。
そのため、『リオの若大将』で若大将を卒業させてシリーズを終わらせることにした。
しかし、これだけのヒット作を終わらせるのはもったいないということで、東宝が得意とする
サラリーマン喜劇へとシフトさせることになった。