【有意義な日を】禁スロマラソン40km【過ごそうよ】

このエントリーをはてなブックマークに追加
414( ´∀`)ノ7777さん
ラジオ番組にゲスト出演した際、ヒットチャートを見て「このサウンドトラックと言う歌手はすごいね、
ベスト10に6曲も入っている」
ビートたけしとテレビCMで共演したこともある(サントリー『バイオミンX』、
撮影中に「オロナミンC買って来い」と言って撮影現場のスタッフがひっくり返ったらしい)。
ビートたけしが村田の挨拶「オレが村田だぁ」を一般にも広め、ちょっとしたブームになり、
清水アキラが代表的なネタのひとつとして'86年頃より始めた村田のものまねも人気を博し、
89年には『あゝ万次郎』のB面曲として『俺が村田だ』という曲が発売されるに至った。
その他にも「(朝食は)和食にしますか?洋食にしますか?」と聞かれ、「バカ野郎!!朝食だ。」と答えたというものや、
注文の力うどん(ちからうどん)を「かうどんをくれ」注文したなど幾つかのギャグがあるが、
ビートたけしが考えた、或いは当時の子供たちやハガキ職人が考えた作り話が広がったものであるとされる。
当時、村田の全盛期を知らない若者からも「村田先生!」と呼ばれる事が多く、村田本人も喜んでいた。
三波春夫との仲
村田と同じく浪曲出身の大物演歌歌手三波春夫。
互いにライバル同士という位置付けであり歌番組での競演は恒例であった。
有名であった彼と村田の不仲説は実際のところ、世論が作り出した偏見に近いものがある。
村田は三波を先輩歌手として慕い、ゴルフや食事を共にする仲であった。
確かに喧嘩はあったが(上手・下手事件など。上手のエピソードを参照のこと)、実際はほぼ同時期に
デビューした良きライバルとして互いに意識していた程度である。犬猿の仲というほどのものではなかった。
三波も村田が1996年に右脚を切断した際に励ましの電話を掛けている。
村田は人物や男心を一筋に演歌を歌い続ける保守派であったが、
三波は後年チャンチキおけさをラップ風に仕立て上げ歌うなど新しいものに挑戦する革新派であったという。
その他
王将をレコーディングする際に最初、「うまれ浪花の八百八橋(はっぴゃくやばし)」をやおやばしと歌ってしまったという。