【有意義な日を】禁スロマラソン40km【過ごそうよ】

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409( ´∀`)ノ7777さん
村田英雄

村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年1月17日 - 2002年6月13日)は、演歌歌手、俳優。
佐賀県東松浦郡相知町(現唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現うきは市)である。
本名、梶山 勇。血液型はAB型。新栄プロダクションに所属していた。愛称は、ムッチー。
浪曲師から歌手へ
福岡県浮羽郡吉井町(現うきは市)に、実父 広沢仙遊、実母 矢野ツタ子の子として生まれる。
生後まもなくツタ子の姉弟子である出利葉スミ子の養子となり、その後、スミ子が梶山春雄と結婚し、
梶山春雄一家は佐賀県東松浦郡相知町(現唐津市)へ引っ越す。
4歳で京山茶目丸と称し『中山安兵衛婿入り』にて初舞台を踏む。
5歳のときに九州の大物浪曲師酒井雲門下に弟子入りし、(64番目の弟子であった)酒井雲坊と称し
13歳で真打昇進、14歳で「酒井雲坊一座」の座長となり、その後も九州にて地方公演を続ける。
1947年に少女浪曲師の吉田伊万里(本名 野口ユイ子)と結婚。
1949年日本一の浪曲師を夢見て上京し、25歳で村田英雄に改名。
1958年古賀政男に見出され無法松の一生で歌手デビューした。
しかし当初はヒットに恵まれず(わずかに「人生劇場」のリバイバルヒットがあったのみ)
NHK紅白歌合戦への出場も果たせずにいた。
1961年11月に発売した西條八十作詞船村徹作曲の王将がミリオンセラーとなり、
翌1962年に日本レコード大賞特別賞を受賞。
「王将」のヒットで、以前出した「無法松の一生」「人生劇場」なども相乗効果でヒット、その人気を不動にする。
1973年には糖尿病の悪化で倒れ、一年間休業するも復帰。
1970年代に入ってからはヒットもなく一時低迷するも、演歌ブーム最中の1979年に、
有線放送から「夫婦春秋」(1967年発売)がヒットし、相乗効果で(当時の)新曲「人生峠」、
続いて「夫婦酒」をヒットさせ健在ぶりをアピールした。