【有意義な日を】禁スロマラソン40km【過ごそうよ】

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238( ´∀`)ノ7777さん
ダウンタウンの松本人志は、幼い頃にアニメ第1作を第1話から毎週欠かさず見ていたらしく、
当然最終回も楽しみにしていたのだが、その日に限って両親に半ば強引に
兄と銭湯に行かされたために見られなかった、と『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』
のフリートーク内で語っている。
彩花みんの漫画『赤ずきんチャチャ』の中で、太陽が昇ってくる方角を問われたチャチャが、
「天才バカボン」のテーマソングを思い出して「西!」と答える場面がある。
赤塚不二夫は新入りの編集者をからかう為にバカボンのパパとママのセックスシーンの原稿を
一枚余分に描いたことがある。
中京圏では、第1作が名古屋放送、第2作が中京テレビ、第3作が東海テレビ、第4作がテレビ愛知と、
アニメ化されるたびに放映局が変わっている(第1作放映当時は中京圏のNNN・ANN系列局は
「変則クロスネット」状態で、名古屋放送と中京テレビの両方がNNN・ANNの双方に加盟していた)。
アニメ第3作・第4作では実在する芸能人の名前がよく出てくる。
移籍事件
1969年、それまでこの作品は「週刊少年マガジン」に掲載されていたのが、
「週刊少年サンデー」に掲載誌が変更になる「事件」が起こった。
事の発端は酒の席で小学館の武居俊樹記者が「『バカボン』を引き抜いちゃえ」とそそのかされた
「冗談」であったとされる。
武居はこの時は冗談だと軽く受け流したが、翌日から行動に移し遂に実現させた。
移籍交渉の際、「マガジン」の内田勝編集長はあっさりと移籍を認めたという。
「サンデー」に移った『バカボン』は、同時掲載の『もーれつア太郎』にニャロメが登場して
人気が高まったこともあり、次第に精彩を欠くようになっていった。
結局「サンデー」の『バカボン』は半年余りで打ち切られた。
(「サンデー」掲載時の作品は当然ながら講談社コミックス版の単行本には未収録である。
またこの時の作品はページ毎のコマの四隅の角が丸くなっているため、判別が容易である。