【有意義な日を】禁スロマラソン40km【過ごそうよ】

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156( ´∀`)ノ7777さん
今はプラスティックのトレーが普及しているが、当時はまだ無かったため皿は必需品だった。
この皿に薄くソースを塗ってお好み焼きを置いた。
まだラップの無い時代のため、その上から新聞で包んだので、持って帰ると新聞がソースだらけとなった。
広島地区での焼き方は、現在の広島風お好み焼きと同じくのせ焼きだった。
当初は、肉が入っていない野菜の重ね焼きで、二つ折りにして新聞紙にくるんで提供されていた。
キャベツや揚げ玉などが入れられていたが、そばは入れられていなかった。
このクレープのような生地に二つ折りにして挟むというスタイルは現在でも残っており、
円盤状のものに比べて場所をとらないため、焼きそばと卵焼きを挟んだものが広島県内の
スーパーマーケットでよく売られている。
戦後の食料事情により、季節により供給量が左右されるネギを、単価が安く年間通して手に入りやすい
キャベツに変えた(もやしは後年入れられる事になる)。
昭和30年代になると、そば(中華めん)やうどんを入れるようになる。
これはその頃発売されたインスタントラーメンの影響ともいわれている。当時は米はまだ高価な時代だった。
広島風お好み焼きも、最初の頃はウスターソースを使っていた。
その為、多くなった具に対応する為にそばを焼そば状にソースで味付け、さらに表面にも塗っていた時期もあった。
地区によっては、ソースはお好みソースに変わったが、作り方自体は今に残っている所もある。
具材が増えた事でソースの味を濃くする必要があった為に、ソース会社に意見を出しながら、
ソースを作る際に出来る沈殿液を使う様になり、さらに甘く味付けしたり、とろみを付けたりした事で、
現在のお好みソースに発展した。
さらに、見栄えを良くする為に二つ折りだったのを、折らずに円盤状になった。
当初おやつ程度の物だったのが、主食に変化していった。
そうして、1955年頃に現在の広島風お好み焼きになった。
お好み焼きの元祖であるが、突然完成形が出来たわけではなく、当時は屋台営業の為に
他店の手の内が分かりやすく、他の屋台の影響を受け合いながら、現在の形に進化していった。