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445( ´∀`)ノ7777さん
1973年10月22日、甲子園での最終戦で巨人に0-9と大敗し優勝を逃した際、
不甲斐ない試合に激高したファンがグラウンドになだれ込み、対戦相手の選手らに暴行を働いた
(阪神タイガース#キーワードの「伝統の一戦・阪神vs巨人戦〜世紀の落球とV9」を参照)。
これにより巨人のグラウンドでの胴上げは中止となった。
29年後の2002年、巨人は再び甲子園でリーグ優勝を決めたがこの事件を受け厳重な警備体制が取られた。
1984年8月15日の巨人戦(後楽園)の試合前に、阪神ファン数十人が
レジー・スミス外野手を取り囲み、人種差別と受け取れる罵声を浴びせる。
その後数名がスミスに暴行を受け、スミスが書類送検される騒動に発展した。
1985年5月23日の広島戦(甲子園)で、北別府学投手がバスターで右翼ポール際に本塁打を放った際、
判定を不服とした阪神ファンが線審にチェーンを投げつけ負傷させた。
同年6月30日の巨人戦(甲子園)で、開場後に天候不良で試合中止となったが、
ライトスタンドに入場していたファン約1000人がグランドに乱入。
「優勝前祝い」と称しリリーフカーを奪いグランド内を暴走したり、1塁側ベンチにも乱入するなど
球場内は30分にわたり混乱した。
その後、阪神球団及び甲子園球場はライトスタンドフェンス際にファンの乱入を防ぐための
有刺鉄線を設置するなど防御策を推進。
また、この混乱の際に一部のファンがレフトスタンドにも乱入し、
既に入場していた一部の巨人ファンを取り囲み暴行するなどの行為もあった。
1992年9月11日のヤクルト戦(甲子園)で、八木裕選手が岡林洋一投手から放った
レフト方向への本塁打がエンタイトルツーベースに覆されたことを不服とした阪神ファン数人が
グラウンド内に乱入し、逮捕者が出る事態へと発展した。