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44( ´∀`)ノ7777さん
敗戦と玉音放送の実施を知った一部の将校グループが、玉音放送が録音されたレコードの奪還を
もくろんで8月15日未明に宮内庁などを襲撃する事件(宮城事件)を起こしたり、
鈴木首相の私邸を襲ったりしたものの、玉音放送の後には、厚木基地の一部将兵が
徹底抗戦を呼びかけるビラを撒いたり停戦連絡機を破壊したりして抵抗した他は
大きな反乱は起こらず、ほぼ全ての日本軍は戦闘を停止した。
翌日には連合国軍が中立国のスイスを通じて、占領軍の日本本土への受け入れや
各地に展開する日本軍の武装解除を進めるための停戦連絡機の派遣を依頼し、
19日には日本側の停戦全権委員が一式陸上攻撃機でフィリピンのマニラへと向かう等、
イギリス軍やアメリカ軍に対する停戦と武装解除は順調に遂行された。
しかし、少しでも多くの日本領土の占領を画策していたスターリンの命令により
ソ連軍は8月末に至るまで南樺太・千島・満州国への攻撃を継続した。
そのような中で8月22日には樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」、「第二新興丸」、「泰東丸」が
ソ連潜水艦の雷撃・砲撃を受け大破、沈没した。
また、日本の後ろ盾を失った満州国は事実上崩壊し、8月18日に退位した皇帝の愛新覚羅溥儀ら
満州国首脳は日本への逃命を図るも、侵攻してきたソ連軍によって身柄を拘束された。
その後8月28日には、連合国軍による日本占領部隊の第一弾としてアメリカ軍の先遣部隊が
厚木飛行場に到着し、8月30日には後に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の総司令官として
連合国による日本占領の指揮に当たることになるアメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー大将も
同基地に到着し、続いてイギリス軍やオーストラリア軍などの日本占領部隊も到着した。
9月2日には、東京湾内に停泊したアメリカ海軍の戦艦ミズーリにおいて、イギリスやアメリカ、
中華民国やオーストラリア、フランスやオランダなどの連合諸国17カ国の代表団の臨席の元、
日本政府全権重光葵外務大臣と、大本営全権梅津美治郎参謀総長による対連合国降伏文書への
調印がなされ、ここに1939年9月1日より足かけ7年にわたって続いた第二次世界大戦はついに終結した。