【給付金は】禁スロマラソン39km【貯金します。】

このエントリーをはてなブックマークに追加
419( ´∀`)ノ7777さん
これらの作品が70年代以降のフュージョンブームの方向性を示すことになった。

1970年代
フュージョンブームでかつてのメンバーのハービー・ハンコックやチック・コリアなどが
ヒット作を連発する一方で、マイルス自身はファンク色の強い、よりリズムを強調したスタイルへと進展、
フュージョンとは一線を画するハードな音楽を展開する。
1972年に発表された『オン・ザ・コーナー』は、現在でもその先進性が話題となる問題作であった。
しかし、こういったマイルスの音楽はセールス的には成功とはいえず、さらに健康状態も悪化、
日本でのライブ録音『アガルタ』『パンゲア』を最後に、1975年以降は長い休息期間となる。

1980年代以降
1980年にマーカス・ミラーなどのサポートを得て活動再開、翌年に復帰作『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』発表。
1980年代はポップ色を強め、マイケル・ジャクソンやシンディ・ローパーなどの作品を取り上げたり、
バンドを従えずあらかじめ出来上がったトラックの上にトランペットをかぶせるポップスミュージシャンのような
制作スタイルを取り入れた。
さらに遺作『ドゥー・バップ』(1991年)ではヒップホップのミュージシャンである
イージー・モー・ビーをゲストに迎え、最後まで時代を見据えて活動した。

音楽性
マイルスのトランペットのプレイのおおまかな特長としては、ミュートすることはあっても、
ビブラートをあまりかけず、速い演奏などといったテクニックにはあまり頼らないことがあげられる。
またディジー・ガレスピーのようなハイトーンを避け、中音域がトランペットにおいて
最も美しい音がでる、として多用した。