【給付金は】禁スロマラソン39km【貯金します。】

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408( ´∀`)ノ7777さん
世話好きとしられ、後輩などをよく飲みに連れて行った。
お金が足りない時の為に、いつでも質屋に行ける様、時計は常に高級なものを付けていた。
番組中で自分のものまねをしている博多華丸と共演。互いにネタを披露しあった。
丁半コロコロのボケ担当・西尾季隆は『自分はおばさん・老女や生意気な若い女など
”女ネタ”の表現には絶対の自信がある、しかし唯一この人には…』として荒川の名を常々あげていた。
菊池市(旧:菊池郡泗水町)にある公立菊池養生園診療所の名誉園長である竹熊宜孝が大学生の頃、
送別会で芝居をする為に当時劇団の団員だった荒川に演技指導をしてもらった事がある。

闘病中のエピソード
大田黒浩一は2006年2月位に一緒に仕事をした時、足はパンパンに腫れ上がり
「もう俺はダメばい、声がでらん・・・。」と荒川が弱音を吐く姿を初めて見たという。
だがステージに立つと元気に跳ね回りファンを喜ばせた、という。
またテリー伊藤は「やせ細りカツラを被るとガタガタになっていたが、カメラが向くと
笑顔を見せていた。」と「スッキリ!!」(日本テレビ系)で明かした。

代表曲
火の国一代(デビュー曲。10万枚以上を売り上げた[1])
火の国旅情(1976年)
草千里
お米さん(KBCラジオ『ばってん荒川のふれあい天国』で長年に渡りオープニングテーマとして使用)
屋台
九州まつり唄
つらいもんだね(1998年)
帰らんちゃよか(1998年、関島秀樹「生きたらよか」のカバー。