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407( ´∀`)ノ7777さん
死去の翌日の2006年10月23日(月)は、上記「テレビタミン」の週第1日目、
「ばってん荒川_ぴら?っと登場!」の週1回の放送日に当たっており、両番組とも追悼特集を組んだ。
うち「テレビタミン」の追悼特別番組(上野聡行の司会で、番組MCの本橋馨と村上美香、
番組出演者で後輩芸人でもあるばってん城次が出演)では、「本人もしんき臭かとは好かっさんだったけん
(しみったれたのはきらいだったから)」と、過去に放送された「爆笑映像」や故人の芸風や
人柄をしのばせる思い出話を中心に、出演者一同つとめて明るく進行していたが、
上記2006年5月29日同番組にサプライズ出演した際の映像が紹介された際、その明るい表情の裏での
闘病生活を知っていたばってん城次は、映像を見ながら思わず「きつかったろなあ
(辛かっただろうなあ)」と男泣きした。
2006年10月24日に熊本市内の葬儀場で行われた葬儀・告別式には、ビートたけし、たけし軍団、
北島三郎、西川きよし、市原悦子、天童よしみら東京・関西の大物芸能人や水前寺清子、八代亜紀、
石川さゆり、原田悠里、コロッケ、井手らっきょら熊本県出身の有名芸能人から供花が贈られた。
弔辞は、長年テレビ・ラジオで共演した熊本ローカルタレントの後輩・大田黒浩一が読み上げた。
大田黒は、遺影に向かって「(逝くのが)早か」と絶叫した。
そして、歌手としての代表曲「帰らんちゃよか」をカバーした熊本出身の演歌歌手・島津亜矢が
遺影の前で「帰らんちゃよか」を熱唱した。
熊本県の潮谷義子知事(当時)は、荒川の死去から1カ月を過ぎた2006年11月29日の会見で、
荒川に「熊本県地域文化特別功労賞」を贈呈することを発表した。
半世紀にわたってテレビ・ラジオなどのメディアで熊本弁を世間に広めたのと、
「肥後にわか」の普及など地域文化の発展に貢献したのが賞を贈る理由となった。

エピソード
デビュー40周年の祝いに、ファンがパチンコ玉を持ってきた程、荒川のパチンコ好きは有名。
「チマチマ打つな」「引き際が肝心」と口にしていたが、余り勝ってはいなかったようである。