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405( ´∀`)ノ7777さん
ばってん荒川

ばってん 荒川(ばってん あらかわ、1937年2月8日 - 2006年10月22日)は、
熊本県や福岡県を中心に九州地方で長年に渡り活躍した肥後にわか役者、ローカルタレント、
演歌歌手、舞台役者である。本名は米嵜 一馬(よねざき かずま、米崎とも表記される)。
熊本県熊本市出身。熊本を代表する偉人の1人。
戦後、存続が危ぶまれた肥後にわかを復活させ、支えた事から「肥後にわかの巨匠」と評され、
九州では佐賀の筑紫美主子と並ぶ「にわか芸の大家」として知られた。
芸歴
実父は漫才師の荒川九州男(あらかわ くすお)。
義父との確執から少年院に入るなど荒れた中学時代だったが、卒業後は様々な職を転々とした後に
父と同じ芸能界へ入ることを決意。
1955年、熊本県の郷土芸能「肥後にわか」の劇団「ばってん組」に入団。
翌年に「お米ばあさん」(本人曰く、お米は本名が米崎だからつけた)のキャラクターで
活躍するようになり、肥後ばってんから、ばってん荒川に改名した。
「ばってん劇団」の団長で、“がね政”ことばってん太郎(本名・西村良吉)とコンビを組んでいた。
芸名が当初肥後ばってんであった理由は、父から『一人前になるまで荒川の名を芸名に入れるのは許さぬ』
というお達しがあったため。
主に和服姿の扮装と、軽妙な熊本弁でのしゃべりで、「肥後にわか」の中心的人物として人気を集めた。
老婆の役は18歳の頃から始めたという。
ラジオ熊本(現・熊本放送〔RKK〕)のラジオ番組「名店会アワー 肥後にわか」で放送メディアでデビューする。
その時の台詞は「あー」の一言だけだった。
1968年、熊本市上通町に演芸酒場「お米」を開店し、オーナーとなる。
1975年、「お米」の事務員の女性と結婚し、3人の子供を育てる。