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40( ´∀`)ノ7777さん
最終的に日本は硫黄島を失い、アメリカ軍は硫黄島をB-29爆撃機の護衛のP-51D戦闘機の基地、
また日本本土への爆撃に際して損傷・故障したB-29の不時着地として整備することになる。
この結果、サイパン島に築かれた基地から飛び立ったB-29への戦闘機による迎撃は極めて困難となった。
迎撃する戦闘機も、熟練した操縦士も、度重なる敗北で底を突いていた日本軍は、
十分な反撃もできぬまま、本土の制空権さえも失っていく。
日本軍は練習機さえ動員し、特攻による必死の反撃を行うが、この頃になると特攻への対策法を
編み出していた米軍に対し、華々しい戦果を挙げられなくなっていた。
この頃満州国は日本軍がアメリカ軍やイギリス軍、オーストラリア軍と戦っていた南方戦線からは
遠かった上、日ソ中立条約が存在していたためにソ連の間とは戦闘状態にならず
開戦以来平静が続いたが、この年に入ると、昭和製鋼所(鞍山製鉄所)などの重要な工業基地が、
中華民国領内から飛び立った連合軍機の空襲を受け始めた。
また、同じく日本軍の勢力下にあったビルマにおいては、開戦以来、
元の宗主国であるイギリス軍を放逐した日本軍と協力関係にあったビルマ国軍の一部が日本軍に対し決起した。
3月下旬には「決起した反乱軍に対抗するため」との名目で、
指導者であるアウン・サンはビルマ国軍をラングーンに集結させたものの、
集結すると即座に日本軍に対しての攻撃を開始し、同時に他の勢力も一斉に蜂起し
イギリス軍に呼応した抗日運動が開始された。
最終的には5月にラングーンから日本軍を放逐した。
沖縄の宜野湾付近に展開するアメリカ兵
その後、5月7日には同盟国の中で最後まで抵抗していたドイツが連合国に降伏し、
ついに日本はたった一国でアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、中華民国、
オーストラリアなどの連合国と対峙していくことになる。
このような状況下で連合国との和平工作に努力する政党政治家も多かったものの、
このような状況に陥ったにもかかわらず、敗北による責任を回避しつづける大本営の議論は迷走を繰り返す。