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39( ´∀`)ノ7777さん
焼夷弾を投下するアメリカ軍のボーイングB-29戦略爆撃機前年末から、
サイパン島に築かれた基地から飛び立ったアメリカ軍のボーイングB-29爆撃機による
日本本土への空襲が本格化していた。
日本軍はB-29を撃墜するための新型戦闘機「震電」などの迎撃機の開発を進めることになるが
実用化には至らず、既存の戦闘機で体当たり戦法などを用い必死に抵抗したが、
高高度を高速で飛来し、武装も強固なB-29を撃墜するのは至難の業であった。
3月10日には大規模な無差別爆撃である東京大空襲が行われ、一夜にして10万人もの命が失われた。
それまでは高高度からの軍需工場を狙った精密爆撃が中心であったが、
カーチス・ルメイ少将が在マリアナ空軍総司令官に就任すると、
民間人の殺傷を第一目的とした無差別爆撃が連夜のように行われるようになった。
あわせて連合軍による潜水艦攻撃や、機雷の敷設により制海権も失っていく中、
北海道、青森、東京、横浜、富山、名古屋、大阪、神戸、徳島、福岡、熊本など、
日本全国の多くの地域が空襲にさらされることになる。
室蘭や釜石では製鉄所を持ちながらも、迎撃用の航空機や大型艦の配備が皆無に等しいこと
を察知していたアメリカ軍は、艦砲射撃による対地攻撃を行う。
また、日本本土近海の制海権を完全に手中に収めたアメリカ軍は、
度々空母機動部隊を日本沿岸に派遣し、艦載機による各地への空襲や機銃掃射を行った。
硫黄島で日本軍の攻撃により擱座したアメリカ軍のLVT
硫黄島で戦死した栗林忠道中将また、この一連の爆撃に先立ち、
2月から3月後半にかけて硫黄島の戦いが行われた。
圧倒的戦力を有する米海兵隊と島を要塞化した日本軍守備隊の間で
太平洋戦争中最大規模の激戦が繰り広げられ、両軍合わせて5万名近くの死傷者を出した
(米軍の死傷者が日本軍のそれを上回った唯一の地上戦とされるが、現実は日本側戦死2万、
捕虜1千。米軍は戦死6千8百名、戦傷2万1千名である)。