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37( ´∀`)ノ7777さん
これに対して、アメリカやイギリスのような大型爆撃機の開発を行っていなかった日本軍は、
この頃急ピッチで6発エンジンを持つ大型爆撃機「富嶽」の開発を進めるものの、開発には時間がかかった。
そこで日本軍は、当時日本の研究員だけが発見していたジェット気流を利用し、
大型気球に爆弾をつけて高高度に飛ばしアメリカ本土まで運ばせるという
いわゆる風船爆弾を開発し、実際にアメリカ本土へ向けて数千個を飛来させた。
しかし人的、物的被害は数名の市民が死亡し、ところどころに山火事を起こす程度の
微々たるものでしかなかった。
また、日本海軍は、この年に進水した艦内に攻撃機を搭載した潜水空母「伊四〇〇型潜水艦」により、
当時アメリカが実質管理していたパナマ運河を搭載機の水上攻撃機「晴嵐」で攻撃する
という作戦を考案したが、戦況の悪化により中止された。
各地で劣勢が伝えられる中、それに反してますます軍国主義的な独裁体制を強化する
東條英機首相兼陸軍大臣に対する反発は強く、この年の春頃には、中野正剛などの政治家や、
海軍将校などを中心とした倒閣運動が盛んに行われた。
それだけでなく、近衞文麿元首相の秘書官であった細川護貞の大戦後の証言によると、
当時現役の海軍将校で和平派であった高松宮宣仁親王黙認の上での具体的な暗殺計画もあったと言われている。
しかしその計画が実行に移されるより早く、サイパン島陥落の責任を取り
東條英機首相兼陸軍大臣率いる内閣が総辞職し、小磯国昭陸軍大将と米内光政海軍大臣を首班とする
内閣が発足した。
この頃日本は、昨年末からの相次ぐ敗北により航空および海軍兵力の多くを失っていたものの、
大量生産設備が整っていなかったこともあり武器弾薬の増産が思うように行かず、
その生産力は連合軍諸国の総計どころかイギリスやアメリカ一国のそれをも大きく下回っていた。