【給付金は】禁スロマラソン39km【貯金します。】

このエントリーをはてなブックマークに追加
369( ´∀`)ノ7777さん
テレビ山口・テレビ大分も同じく1985年3月で打ち切り。
なお、鹿児島テレビはネット開始まではテレビ朝日の番組を放送していた。
テレビ長崎は1985年3月でネットを打ち切ったが、1990年10月1日よりフジテレビ系列
フルネット局になったため、1990年10月3日の最終回は再び同時ネットした。
テレビ宮崎は1985年4月に一旦ネット打ち切り(枠がテレビ朝日系同時ネット〈『欽どこ』、
『特捜最前線』〉だったため)、半年後に再びネット開始した。
青森放送は1985年『DELUXE』以降からネット開始。
『きょうの出来事』などが終了後23時40分からの遅れネットで、スポンサーも
ローカルスポンサーに差し替えられていた。
セット
基本的には22年間の放送期間全期を通じて、左側にビッグバンドの演奏スペースを、
右側に本編では歌手・司会者の待機場所として使用される通称「大階段」セットと
円形の小階段セットを、スタジオの上部には丸みを帯びた菱形の連なった飾りを
両スペースにそれぞれ配置するという基本コンセプトは一切変わらなかったが、
放送時期によって若干のマイナーチェンジがなされている。
この番組セットのデザインは初代美術担当の妹尾河童が手掛けたものである。

初代(1968年11月?1969年3月)
セットデザインの模様がカラー放送開始以後のそれとは異なり、線のはっきりした
菱形模様が伸縮したようなデザインが使用されていた。
ビッグバンドの配置もカラー放送開始以後とは異なり、歌手の待機場所に近いほうから、
ストリングス→ギター(下段)・ドラム(上段)→ピアノ(下段)・ブラス(上段)という配置となっていた。
コーラスは指揮者の隣に配置された1本のリボンマイクロホンで歌に参加する手法が採られていた。
スタジオの背景色は基本的には紺色であった。