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35( ´∀`)ノ7777さん
この年の年末になると、開戦当初の相次ぐ敗北から完全に態勢を立て直し、
圧倒的な戦力を持つに至ったアメリカ軍に加え、ヨーロッパ戦線でドイツ軍に対して攻勢に転じ
戦線の展開に余裕が出てきたイギリス軍やオーストラリア軍、ニュージーランド軍などの
数カ国からなる連合軍と、中国戦線の膠着状態を打開できないまま、太平洋戦線において
さしたる味方もなく1国で戦う上、開戦当初の相次ぐ勝利のために予想しなかったほど
戦線が延びたことで兵士の補給や兵器の生産、軍需物資の補給に困難が生じる日本軍の力関係は
一気に連合国有利へと傾いていった。
ビルマ方面では日本陸軍とイギリス陸軍との地上での戦いが続いていた。
1944年3月、インド北東部アッサム地方の都市でインドに駐留する英印軍の主要拠点である
インパールの攻略を目指したインパール作戦とそれを支援する第二次アキャブ作戦が開始された。
スバス・チャンドラ・ボース率いるインド国民軍まで投入し、劣勢に回りつつあった戦況を打開するため
9万人近い将兵を投入した大規模な作戦であった。
しかし、補給線を軽視した無謀・杜撰な作戦により約3万人以上が命を失う(大半が餓死によるもの)など、
日本陸軍にとって歴史的な敗北となった。
これ以降、ビルマ方面での日本軍は壊滅状態となる。
同作戦の失敗により翌年、アウン・サン将軍率いるビルマ軍は連合軍へ寝返り、
結果として翌年に日本軍はビルマを失うことになる。
5月頃には、米軍による通商破壊などで南方からの補給が途絶えていた中国戦線で
日本軍の一大攻勢が開始される(大陸打通作戦)。
作戦自体は成功し、中国北部とインドシナ方面の陸路での連絡が可能となったが、
中国方面での攻勢はこれが限界であった。
6月からは中華民国・成都を基地とするB-29による北九州爆撃が始まった。
連合国軍に対し各地で劣勢に回りつつあった日本の陸海軍は、本土防衛のため
および戦争継続のために必要不可欠である領土・地点を定め、防衛を命じた地点・地域である絶対国防圏を設けた。