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34( ´∀`)ノ7777さん
しかし、この頃日本海軍の暗号の多くはアメリカ海軍情報局により解読されており、
アメリカ軍は日本海軍の無線の傍受と暗号の解読により、撃墜後間もなく山本長官の死を
察知していたことが戦後明らかになった。
なお、日本政府は「元帥の仇は増産で(討て)」との標語を作り、山本元帥の死を戦意高揚に利用する。
1943年5月には前年の6月より日本軍が占領していたアリューシャン列島のアッツ島に米軍が上陸。
日本軍守備隊は全滅し(アッツ島の戦い)、大本営発表において初めて「玉砕」という言葉が用いられた。
その後、7月にソロモン諸島で行われたコロンバンガラ島沖海戦で、
日本海軍艦艇は巧みな雷撃により米艦隊に勝利するが、その頃になるとソロモン諸島での趨勢は
最早決していたため、戦況には大きな影響を与えなかった。
また、ニューギニア島では日本軍とアメリカ軍、オーストラリア軍を中心とした
連合軍との激しい戦いが続いていたが、8月頃より少しずつ日本軍の退勢となり、
物資補給に困難が出てきた。
この年の暮れごろには、日本軍にとって同方面最大のラバウル基地は孤立化し始める。
連合軍の反攻
開戦後に敗北を続けたものの、その後戦力を整えたアメリカ軍やイギリス軍、オーストラリア軍を
中心とした連合国軍は、この年の後半からいよいよ反攻作戦を本格化させ、
南西太平洋方面連合軍総司令官のダグラス・マッカーサーが企画した
「飛び石作戦(日本軍が要塞化した島を避けつつ、重要拠点を奪取して日本本土へと向かう)」を開始する。
11月には南太平洋のマキン島とタラワ島における戦いで日本軍守備隊が全滅し、
同島がアメリカ軍に占領されることになる。
大東亜会議に参加した各国首脳同月に日本の東條英機首相は、満州国やタイ王国、フィリピン、
ビルマ、自由インド仮政府、南京国民政府などの首脳を東京に集めて大東亜会議を開き、
大東亜共栄圏の結束を誇示しようとするが、実態は東條首相の独擅場に過ぎなかった。