【給付金は】禁スロマラソン39km【貯金します。】

このエントリーをはてなブックマークに追加
338( ´∀`)ノ7777さん
また、ゲスト歌手の過去の出演シーンと現在の姿・歌声とを対比させる「タイムトンネル」、
月曜日時代から不定期に行っていた司会の芳村のプロデュース企画「ファッションショー」を
レギュラー化するなど新企画も立ち上げられた。
ランキング番組主流の中で、ランキングに入らなくとも恒常的な人気のあるアーティストの曲が
締め出されているという『ザ・ベストテン』などへの批判を汲み、
『DELUXE』へのリニューアル当初にあった「夜ヒットはもう終わった」という局内外での批判を
跳ね除けてみせた。

新旧交替−井上順と芳村真理の降板、若手の積極的起用(1985?1988)
1985年9月25日、井上順が「自らの可能性をより広める」ためとして司会を降板。
代わってテレビ朝日から独立して間もない古舘伊知郎が起用された。
古舘の司会第1回目の放送(1985年10月2日)で芳村真理は「時間が経てば終わるのよ」と
フォローの言葉をかけ、古舘の緊張をほぐしたという。
当時「ストロボする言葉マシーン」を自称していた古舘はプロレス・F1の実況中継の時と同様に
巧みな話術を展開し、それまで井上と芳村が交互に担当していた「4スタライブ」の進行も
一手に引き受けることとなった。
後に芳村は、古舘と最初に組んだ『夜ヒット』の放送の時に「自分の中で(司会勇退に向けて)
心の整理を始めていた」「この人なら、後を任せられると思った」などと回顧している。
この時期には新進気鋭のアーティストの存在に注目し、久保田利伸、レッド・ウォーリアーズ、
今井美樹、BOOWY、ザ・ブルーハーツ、米米CLUB、尾崎豊らを他に先駆けて出演させた。
また、ミュージカルの1シーンの再現や、渡辺謙・松坂慶子ら人気俳優の「マンスリーゲスト」への
起用のほか、アルバム収録曲が頻繁に披露されるなど、クオリティの高い番組制作が試みられた。