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337( ´∀`)ノ7777さん
またメインセットについても、階段状のセットに電飾が施され、ひし形の飾りが立体化される
などの変更が行われた。
新生『夜ヒット』を象徴する企画が、一組のゲストに1ヶ月連続で出演してもらい、
毎回異なる趣向のステージングでそのアーティストの多面的な魅力を引き出すというコンセプトで
設置された「マンスリーゲスト」制である。
最初のマンスリーゲスト(1985年4月)は小柳ルミ子、最多出場マンスリーゲストは郷ひろみと田原俊彦
の各3回である。
この企画の中で布施明、五木ひろし等が三味線やフルートなどの楽器演奏に挑戦したり、
他歌手とのジョイント、近藤真彦が歌舞伎の扮装で登場したり、中森明菜がボーカルに
特殊加工を施し黒装束で妖艶に舞い踊る派手なパフォーマンスを展開した。
また、ワールドワイドな番組を目指すというコンセプトを反映し、話題の海外アーティストを
生出演させるセクションを設置した。
特に大物のアーティストについては主要スタッフが海外へ赴き、直接出演交渉することもあったという。
リニューアル直後の1985年4月17日に米国ショービジネス界の雄・フランク・シナトラ(スタジオ生出演)
とティナ・ターナー(衛星生中継)が出演した際には5000万円は下らない制作費が投じられたといい、
この2人が生番組で会すること自体海外の番組でもほとんどないことであったために
当時の海外の音楽業界でも話題となり、これを契機に出演交渉がスムーズにいくようになったとも
言われている。
エルトン・ジョン、ジャネット・ジャクソン、ポール・マッカートニー、ボン・ジョヴィ、ホイットニー・ヒューストン、
シーラ・E、バリー・マニロウといったアーティストが出演した。
このほか、バックダンサー要員として、振付師の西条満の弟子で番組独自の女性ユニット「B・G・M」
を結成(のち「Dee‐Dee」に改名)させ、エンディングテーマ曲「YOU'VE GOTTA NAME」で
レコードデビューさせた。