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335( ´∀`)ノ7777さん
また『夜ヒット』への出演が曲の売り上げやアーティスト自体の人気に好影響をもたらすことも少なくなく
(山本譲二がこの番組で「みちのくひとり旅」を話題曲として披露したのを契機に
スター歌手の仲間入りを果たしたエピソードがある)、新曲発表の際には各事務所・レコード会社が
『夜ヒット』への出演枠を奪い合った。
しかし、1981年春より同じく月曜に放送していた『紅白歌のベストテン』が完全ランキング方式の
『ザ・トップテン』にリニューアルしたのを機に、日本テレビと関係のある事務所(研音など)の所属歌手や、
日本テレビの関連会社が版権を有する曲を歌う歌手の中には
『夜ヒット』出演に制約を受けるケースが生じたり、『夜ヒット』のスポンサーと利害関係のあった企業の
CMソングを歌っているという理由で『夜ヒット』に出演できないアーティストが現れ始めた
(但し「B面・アルバムの曲を披露する」という形で『夜ヒット』出演を優先させた歌手も多かった)。
また、1978年の『ザ・ベストテン』(TBS)の登場により、歌番組のトレンドが本格志向な音楽番組から
情報番組的な色彩を加味したものへと移行してゆく中で、1980年代半ばに入ると
長年安定していた視聴率が下降線を辿り始めた。
そのような歌謡番組全体を取り巻く環境の変化の中で、1985年4月、放送曜日の変更と
2時間枠への拡大という刷新が図られることになった。
夜のヒットスタジオDELUXE
放送期間:1985年4月3日?1989年9月27日
放送時間:水曜日 21時2分 - 23時
21時0分から21時2分まで予告番組『今夜の夜のヒットスタジオDX』を放送。
牧原俊幸・本間淳子・永麻理各アナウンサーが出演。
当番組の移動に伴い、関西テレビの放送枠であった水曜22時枠は『夜ヒット』を放送していた
月曜22時枠に入替となった(『三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』)。