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327( ´∀`)ノ7777さん
構成は当時多くの人気番組を抱えていた塚田茂、プロデューサーはフジテレビ朝のワイドショー番組
『小川宏ショー』のスタッフであった伊藤昭。
司会には塚田が構成を務めた『お昼のゴールデンショー』の司会として人気タレントとなっていた
前田武彦、その相手役には『小川宏ショー』のホステス役を務めた経験から
伊藤とも面識のあった芳村真理。
このほかムードコーラスグループの鶴岡雅義と東京ロマンチカ(1974年10月まで出演)と、
当時フジの看板アナウンサーであった小林大輔もレギュラー出演者として名を連ねた。
それまで視聴者にとって雲の上の存在だったスター歌手の人間性を引き出すことを
当初のコンセプトとし、終了時まで続いた「ご対面」や「他人の歌オープニングメドレー」、
エンディングで視聴者に電話をしスロットで表示された額(最高10万円)をプレゼントする
「ラッキーテレフォンプレゼント」のほか、その回のゲストが歌う曲をモチーフとしたコント形式の
「歌謡ドラマ」、ゲスト歌手の性格・嗜好を電子計算機にインプットし相性の合うタレントをはじき出す
「コンピュータ恋人選び」といったバラエティ色の強い企画が用意された。
当時集団就職等で夜遅くまで働いている若者たちが丁度落ち着いてテレビを見られる時間帯に
歌を聴かせる番組、楽しませる番組が一つぐらいあってもいいのではという点もあり、
その時折に沿った童謡をBGMに司会者が登場するシーンや「ご対面」などは
その点を強く意識したものであると言われている(伊藤昭談)。
司会者が歌手たちと自然体でやり取りするというスタイルも異色であった。
前田は自らを「あだ名の名人」と称して、必ず歌手やスタッフに仇名を付けた
(例:芳村真理→「ナマズのおばさん」、塚田茂→「ドンドンクジラ」、小林大輔→「モグラのお兄さん」等。
前田自らも「カワウソおじさん」と称した)。
芳村の司会振りはそれまでのテレビ番組の世界では置物的色彩の強かった女性司会者の概念を覆した。