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30( ´∀`)ノ7777さん
日本軍に降伏するフィリピン駐留のアメリカ軍兵士同月には、
当時イギリスの植民地であったビルマ(現在のミャンマー)方面に展開する日本陸軍に
後方協力する形で、海軍の航空母艦を中心とした機動艦隊がインド洋に進出し、
空母搭載機がイギリス領セイロン(現在のスリランカ)のコロンボ、トリンコマリーを空襲、
さらにイギリス海軍の航空母艦ハーミーズ、重巡洋艦コーンウォール、ドーセットシャーなどに
攻撃を加え多数の艦船を撃沈した(セイロン沖海戦)。
これによりイギリスの東方艦隊は航空戦力に大打撃を受けて、
日本海軍の機動部隊に対する反撃ができず、当時植民地下に置いていたアフリカ東岸の
ケニアのキリンディニ港まで撤退することになる。
なお、この攻撃に加わった潜水艦の一隻である伊号第三〇潜水艦は、
その後8月に戦争開始後初の遣独潜水艦作戦(第一次遣独潜水艦)としてドイツへと派遣され、
エニグマ暗号機などを持ち帰った。
この頃イギリス軍は、友邦フランスの植民地であったものの、
フランスの守備隊がイギリスと敵対するヴィシー政権側に付いたため、
日本海軍の基地になる危険性のあったインド洋のアフリカ東岸のマダガスカル島を
南アフリカ軍の支援を受けて占領した(マダガスカルの戦い)。
この戦いの間に、現地のフランス軍を援護すべくイギリス海軍を追った日本軍の特殊潜航艇が
ディエゴスアレス港を攻撃し、イギリス海軍の戦艦を1隻大破させる等の戦果をあげている。
サンフランシスコ市内に張り出された日本軍機による空襲時のシェルターへの避難案内と
日系アメリカ人に対する強制退去命令第一段作戦の終了後、日本軍は第二段作戦として、
アメリカとオーストラリアの間のシーレーンを遮断しオーストラリアを孤立させる
「米豪遮断作戦」(FS作戦)を構想した。
これを阻止しようとする連合軍との間でソロモン諸島の戦い、ニューギニアの戦いが開始され、
この地域で日本は戦争資源を消耗してゆくことになる。