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299( ´∀`)ノ7777さん
若き日の玉井貴代志、高田文夫、松岡孝らも制作に参加していた。
また、『DELUXE』以降には現在フジテレビの音楽番組制作を一手に引き受けている
「音組」のきくち伸らもADとして制作に関わっており、現在の「音組」の基礎を築いた番組でもあった。
同局の『FNS歌謡祭』や『新春かくし芸大会』もこれらのスタッフが主要ブレーンとして
製作の陣頭指揮を執っていた。

演奏
豊岡豊とスイング・フェイス(指揮:豊岡豊) 1968年11月?1969年3月
モノクロ放送時代のみ担当。
この当時はオケピットの配置が後年知られている並びとは大幅に異なっており、
吹奏楽器(トランペットなど)演奏者と弦楽器(バイオリン)演奏者の配置は全く逆となっていた
(弦楽器担当者のほうが歌手たちが座っているひな壇に近い位置に陣取っていた)。
ダン池田とニューブリード(指揮:ダン池田) 1969年4月?1985年3月
カラー放送開始と同時に番組に参加し、月曜日の放送終了までの16年間活動。
バンドマスターのダン池田は、番組前期の頃は指揮だけでなく「歌謡ドラマ」にも頻繁に客演するなど
コメディリリーフとしても活躍した。
ダン池田は、たまにラテンパーカッション・クラシックパーカッションなどを担当する事もあった。
ニューブリードの起用と同時にオケピットの配置も(ひな壇に近い順番から)吹奏楽器・ドラム
及びギター・弦楽器(及びシンセサイザーなどの演奏補助<1978>)という並びに変更された。
ザ・ニューブリードスペシャル(指揮:三原綱木)1985年4月?1986年3月
番組リニューアルとダン池田の降板を機に、「ダン池田とニューブリード」の一部メンバーを入れ替え・整理。
三原は司会の井上順の誘いを受けてバンドマスターの仕事を引き受けたと言われている。
三原は指揮をしないでギターを弾いていることも多々あった。