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294( ´∀`)ノ7777さん
更に広島県で2局放送していた時代もあったが、これは本来のNET系列だった
広島ホームテレビ(UHT)がUHFテレビ局(広島県初)であるため
それを受信できない世帯・地域に配慮するのと、従来から放送していた中国放送(RCC)での
視聴者確保の観点もあり、UHT開局後も引き続いてRCC・UHTの並列放送していた。
番組の終了
1975年3月31日に行われたMBSのNET系列からTBS系列へのネットワークチェンジがきっかけとなった。
1975年11月30日の放送を最後に、がっちり買いまショウは12年で終了した。
その後12月には、司会にタレントの三波伸介を起用した『伸介のがっちりショッピング』と言うタイトルで
番組は再出発した。なお、がっちりショッピングのスポンサーは、引き続きグリコが一社提供した。
備考
小金額調整用の品物のうち、スポンサーの商品は、オリエンタル・グリコ時代とも、
即席カレーが使用された。
オリエンタル提供時代は、オリエンタル・マースカレーが、グリコ提供時代は、グリコ・ワンタッチカレーだった。
なお、グリコ提供時代にはポッキーやペロティが調整に使用された回があった。
なお調整金額は、末期では¥100で計算された。
出場者は、商品の額を計算するのに、当初はメモ用紙と鉛筆だったが、番組末期には計算機(電卓)も加わった。
名物口上「10万円・7万円・5万円運命の分かれ道」は、番組終了後も、いとし・こいしの漫才の中で
時々使用された、
またこの口上の出るネタは、民放やNHKの演芸番組を問わず、一部の場合を除いて使用していた。
放送開始当時の番組タイトルは、『オリエンタル がっちり買いましょう』だったが、
1969年5月に、しょうの文字を、ゲームショー番組のもじりで、ショウの文字に変更した。
スポンサーがグリコの時代には、いとし・こいしの2人の着用する、背広やブレザーの胸ポケットには、
(道頓堀川沿いのネオンサインでもお馴染みの)グリコのゴールインマークのワッペンが着けられていた。